お話「ラムネ屋トンコ」


第三回 昭和二十六年 一月 次はコンコン・ヒュー

五才の十二月に、虫垂炎を患いましたが、十日後には痛みが少なくなりました。

ゆっくりだと立てるようになったので、障子を伝って縁側に出てみました。

久しぶりの庭は、南天の赤い実と葉っぱや雑草や石までが、キラキラ輝いてニコニコ笑っているようです。

私は気分がよくなり、病気が治ったような気がします。

ところが夜になって咳が出て、次の朝には咳が、「コンコン・コンコン・ヒュー。」とひどくなりました。

咳が出るたびに、胸とお腹が「イタイタ・イタイタ・イター。」と大変です。

また、U病院の先生がやって来て、「これは百日咳だ。こんどは胸を切る。」「・・・。」「必要はないぞ。」と言います。

私は胸がドキドキして、「コンコン・コンコン・ヒュー。」と激しい咳が出て、胸とお腹がもっと痛くなりましたが、切らなくていいので一安心です。

「静かに寝ていなさい。」と言って、先生は帰りました。

翌朝は、咳をそっとして、胸やお腹が痛くないように工夫しました。

しかし、咳がたびたび出るので困ります。

掛け布団を畳んだ上に持たれ掛かっているのが楽なので、ずっと座っていました。

すると、なんと病気のため離れの部屋で寝ていて、二年間以上も会えなかった母が、来てくれたのです。

私は、忘れかけていた母の顔を見ました。

マスクを付けた母は「としちゃん、いかが?」と言って、お粥とすりリンゴを枕もとに置きました。

「自分で食べられる?」と聞いたので、私はコクリとうなづきました。

母は疲れたのか、すぐ部屋を出て、離れの部屋で休んだようです。

胸が嬉しさで一杯なり、涙が頬を流れます。

涙でいつもより少しショッパイけれど、温かくておいしいお粥です。

おばあちゃんの茶色と違って、きれいな色の甘いすりリンゴも、残さず食べました。

あくる日は、朝から母が来てくれるのを、首を長くして待ちました。

昼食は、待ちに待った母が作ったお粥と、柔らかい絹豆腐の入った味噌汁です。

もちろん全部食べて、とても元気になった気がします。

仰向けに寝ていて咳がでる時だけ、横向きになれば大丈夫です。

いつの間にか眠って、ふと目が覚めて天井を見ると、大きな太陽が大きな目で笑っています。

離れたところに北風も見えたので、旅人とマントに見える木目を探しました。

父が読んでくれた「北風と太陽が力くらべ。」のお話を、思い出して過ごしました。

翌日のお昼、母が持ってきてくれたお粥と茶碗蒸は、トロットしていて頬っぺたが落ちそうです。

咳はだいぶ軽くなりました。

今度は、天井に大きなライオンを発見したので、小さい木目をねずみに見たてて、「ライオンとねずみ。」の、一人話を楽しみました。

次の日は、兎と亀が見つかったので、「うさぎとかめ。」のお話です。

お昼のおかずは、卵の入ったつぶしたじゃが芋。

ぺろりと食べて、幸せな気持ちです。

夕方、様子を見に来た父に、「天井にうさぎとかめが見えるよ。」と言ったのですが、残念ながら、父には見えないようでした。

私の咳は軽くなりましたが、春の終わりまで続きました。

病気がなかなか治らなかった母は、私と一緒に栄養を摂って、私と同じようにだんだん元気になりました。

しばらくして、「天井の木目が動物に見えたよ。」と母に話しました。

「戦争が終わった時、古くなった家を建て直すお金が、充分なかったの。」「きれいな天井板を張れなくて、粗い木目の板がむき出しのままなのよ。」と母。

その粗い木目の天井なので、色々な動物のお話を楽しむことができて、よかったと思いました。

一年後、小学生になり、夕食後お使いに行く時、時々散歩中のほろ酔いかげんの、U先生に出会いました。

「こんばんは。」と挨拶すると、「おう!盲腸は要らんもんだから、いつでも取ってやるぞ。」と、U先生は少し酔っ払った声で言います。

また、朝に会った時も、「盲腸は早く取った方がいいぞ!いつでもお腹を切りに来いよ。」とも。

昨夜のお酒が、少し残っているような気がします。

「ちっとも痛くないので、大丈夫です。」と、私はいつもきっぱり、お断りしました。

私はU先生と親しい気がしています。

弟が生まれた時、おちょこちょいの私は、産湯の入ったやかんを、蹴飛ばして左脚を大火傷しました。

二才半の時のことで覚えていませんが、左脚に長い火傷の跡があります。

その時、U先生に治療して貰いました。

四才の時は、新しい下駄が嬉しくて、あわてて履いたので、鼻緒に親指の爪がひっかかり、血が出て爪が取れてしまいました。

その時もその後も、膝や肘や手に怪我をして、U先生にお世話になってばかりで、親しくなったのだと思います。

その後、U先生は盲腸などの手術が上手とのことで、手術が増えたようです。

そんな時、私は、何時に手術があるのか、確かめないと気がすみませんでした。

朝会った時の、お酒が少し残っているようなU先生の顔が、目に浮かぶからです。

何度か確かめると、手術は午後に決まっていることが分かり、ホッとしたのでした。

その後、私の盲腸は痛くなることはなく、手術を受けずにすんだので、本当によかったです。

今思いかえすと、U先生に会ってお酒が残っていると感じたのは、日曜の朝だったのでしょう。


トンコへメッセージを送る

  • お名前
  • メールアドレス
  • メッセージ