第十回 昭和二十八年 夏 台風の目?
二年生の九月、「台風がこの近くに上陸する。」と、ラジオの天気予報が伝えました。
午後の授業は切り上げて、私達は急いで集団下校しました。
雨が降り続いたら、今夜の満潮の時、K川の堤防から多量の雨水と海水が流れ出るかもしれないそうです。
学校から家に帰った時、「便所に水を入れてやー。」という声が、外から聞こえます。
「はーい」と返事をして、私はバケツに水を入れて、便所の便壷に流しました。
その頃は水洗トイレはなく、便器の下には大きい便壺があり、便や尿が溜まるようになっていました。
一杯になったら、農家のおじさんが、勺で汲み出し木の桶に入れて、畑のそばにある野壷に運んでくれます。
便や尿を野壺にしばらく置いておくと、肥料になるので、農家の人達は大切にしていました。
便や尿を汲み取った後の便壷に水を流し入れると、おじさんが最後にきれいに汲み取ってくれます。
便壷に水を入れて、「ありがとう。」とおじさんにお礼も言うことが、我家の子どもの役目でした。
今夜、海や川からの水が便壷に流れ込むと、便や尿が外に流れ出るかもしれません。
だから、農家のおじさんが、浸水しそうな便壷の便や尿を、浸水しない高い土地にある、野壺に運んでくれるのです。
また、浸水の恐れのある野壺の便や尿も、高い所の野壺に移しているので、心配いりません。
しばらくすると、近所のお兄さんや若いおじさん達が、町内で一番低い土地に建っている我家に、「畳が水につかる心配がある。」と、集まって来ました。
慣れた手つきで、たんすや畳を持ち上げて、床板の上に並べたラムネの箱の上に乗せてくれました。
雨が降り始め、激しい風が吹いていましたが、急に雨が止み風がゆるやかになりました。
「台風の目だ。」と、外に出たお兄さんの声が聞こえます。
私は窓ガラス越しに外を見ましたが、分かりません。
ヨイショと重たい窓をあけて、首を出して台風の目を探しましたが、見つかりません。
ふと上を見ると空全体が灰色の雲ですが、真上だけまあるく明るい青空が見えたのです。
「これが台風の目だ。」と見ていると、また強い風がビューと吹いて来ました。
あわてて窓を閉めようとしましたが、なかなか閉まりません。
私も畳も吹き飛んで、ドターンと倒れてしまいました。
外のお兄さんが「どうした?」と、部屋に入って来ました。
「台風の目を見たくて窓を開けたの。大丈夫よ。」と私。
「としちゃんのやりそうなことだ。」とにやりと笑って、お兄さんは窓を閉めてくれました。
そして、畳をまたラムネの箱の上に乗せてから、帰って行きました。
おにぎりだけの夕ご飯が終わって、私達きょうだいは我が家より一段高い土地に建つ、隣のいとこの家に避難しました。
外はますます激しい風と雨になりましたが、家の中は静かで、いとこ達とトランプをして楽しい夜です。
布団に入る前に、玄関のあたりでぴちゃぴちゃと水の音がしたのですが、風や雨は弱くなってきました。
「ここは水につかったことはないから、大丈夫。」と中学生のいとこが言ったので、二階で安心して眠りました。
つぎの朝、外は嵐が去ってよい天気。
「おねしょした!おねしょした!」と照れ笑いする弟の声で、目が覚めました。
弟はおねしょなんか気にしないで、おどけて元気に我家に帰って行きました。
一階から「また、おねしょして、臭いなー。」「いつまで、おねしょするつもり!」と、おばさんの声が聞こえます。
小学生のいとこが、ひどく怒られてしょぼんとしています。
我家では弟がしばしば、私と姉は時々おねしょをしていますが、叱られたり怒られたことはなかったので、驚きました。
家に帰ってみると、床下まで来た水は引いていました。
台風の後片付けは大変です。
父は外のはき掃除のあと、「日光消毒ができない所は、消毒する必要がある。」と言いながら、家の床下や製造場に白いDDTをまいています。
近所のお兄さん達がまた手助けに来て、畳やたんすを、もと通りにしてくれました。
「三時間目から授業が始まる。」と小学校から、我が家に電話連絡があったので、町内のみんなに知らせて、集団登校です。
学校に着くと、教室で「台風の目が通ったなー。」「静かになったので分かったわー。」と、クラスの男子達が言っています。
私が「台風の目を見たよ。」と言うと、みんなは「へーエー?」と変な顔です。
みんなは家の中にいて、あの台風の青い目を見ていないことに、気づきました。
私は内緒にすることにしました。