お話「ラムネ屋トンコ」


第五十回 昭和三十三年 夏 昌弘先生との思い出

小学六年生三学期の放課後、当番だったので手のり文鳥の世話をしていた。

文鳥は羽がつやつやしてきれいで、くちばしは薄ピンクで可愛らしく、手に乗って来る。

鳥小屋の糞の付いた新聞紙を新しい物に取り替えて、一人文鳥を見つめていた。

「としちゃんの瞳は澄みきってきれいだね。」と見回りに来た副担任の昌弘先生が、眼鏡の中から私の目を見て言った。

そんなことを言われたのは初めてなので、驚いたが嬉しい。

随分前に、小学校の近くの鳥好きのおじさんが、畳半畳の大きさの鳥小屋を作ってくれた。

そのおじさんは「小鳥のおじさん」と呼ばれていた。

おじさんは、家で小鳥も馬も飼っている。

三月の卒業前、小鳥のおじさんが文鳥の様子を見にやってきた。

たまたま、鳥小屋掃除をしていた満喜子ちゃんと緑ちゃんと私に、「掃除をして感心だな。ほうびに馬にのせてあげよう。」とおじさん。

順番に一人ずつ馬の背に乗せて、おじさんは鞍に座って手綱を取り、小学校の周りを一周してくれた。

いつもと違って、馬の上から見下ろして散歩するのは、少し怖いけどいい気分だ。

上機嫌で学校に帰った時、昌弘先生に会う。

「としちゃん、今日は一段と目が輝いているね。」と先生。

馬に乗せてもらって感激したことを夢中になって話すと、先生は嬉しそうに聞いてくれる。

私は昌弘先生を好きになっていた。

小学卒業式の日、修学旅行の時に昌弘先生と二人で撮った写真を貰ったことも、女の先生に「大きくなったら、昌弘先生のおよめさんになったら。」と言われたこともとても嬉しかった。

毎年三月末の新聞に、教育委員会の教職員移動の記事が載る。

昌弘先生が、小学校からF中学校に転任することが分かった。

もう会えなくなるのかしらと気になる。

中学入学前のテストを受けた帰りに小学校に寄って、当直の先生に訊ねた。

昌弘先生は、始業式の次の日に小学校にお別れの挨拶に来ることが分かった。

その日、昌弘先生とのお別れのために、数人の友達と一緒に小学校に行く。

「きっとまた会えるよ。僕の家はT駅の近くだから遊びにおいで。」と昌弘先生。

T駅といえば、いとこの俊枝ちゃんの家に行く時下車する駅だ。

今度、俊枝ちゃんの家に行く時、先生の家を訪ねようと決めた。

また会えると思うと、なんだか安心。

みんなでお礼を言って、再会の約束をしてお別れをした。

中学に慣れた頃から、特に美術の教師や担任のことで気分が悪かった。

そのことを先生に聞いてもらいたくて、絵の教室のメンバーだった友達数人を誘って、時々小学校の絵の教室に行った。

それまで話をよく聞いてくれていた昌弘先生はもういない。

敏春先生は、忙しそうだ。

同級生の友達と、気分の悪いことを言い合って、「ああ、すっきりした!」と笑顔になり、家に帰ったことが何度かあった。

夏休みのお盆の頃、運動クラブの活動はお休みなので、いとこの俊枝ちゃんの家に行く。

さっそく、「昌弘先生の家を知っている?六年の時、副担任だったの。帰りに寄りたいの。」と話した。

「よく知っているよ。血はつながっていないけど、親戚だよ。」「昌弘さんは次男で田や畑の相続がないから、田畑のある農家の養子さんになるんだよ。人柄がいいから、お見合いの話がいくらでもあるんだよ。」と俊枝ちゃんのお母さん。母の妹だ。

お見合いの話を聞いて、大きくなっても昌弘先生のおよめさんにはなれない気がする。

「そう。」と返事しただけで、私はいつもと違って無口になった。

「ちゃんと電話をしてあげるから、帰りに寄るといいよ。T駅から南に下ったところだよ。」とおばさん。

すぐ電話をしてくれて「明日、昌弘さんは家にいるんだって。待ってると言っていたよ。よかったね。」とおばさんは笑顔だ。

私は、作り笑いをして「ありがとう。」とお礼を言った。

次の日、お昼の冷麦をよばれてから、日陰のできる三時頃一人で出発。

もうすぐ会えるので嬉しい気持ち半分と、先生はもうすぐお見合いをするかもしれないので淋しい気持ち半分で、坂道を下ってT駅にむかう。

駅を通り過ぎるとすぐ、昌弘先生の家の表札が見えた。

広い庭には大きい柿の木があり、玄関を入ると畳の部屋がまず四部屋見えた。

その周りに先生の部屋や台所や食堂やお風呂などあり、大きい家だ。

「よく来てくださったねえ。泊まっていって下さいね。」と私の母よりずいぶん年上のお母さん。

先生もそうするように笑顔で勧めてくれたので、家に電話をした。

母は「もう夕方で、今から帰ると暗くなるから泊めて貰いなさい。」といとも簡単に言う。

俊枝ちゃんのお母さんから、母に連絡がいったらしい。

母は先生のお母さんと代わるように言った。

「お世話になってありがとうございます。よろしくお願いします。」と挨拶したようだ。

ご両親とお兄さんも一緒に、鶏肉とお野菜の美味しい夕食を頂いた後、お風呂を勧められた。

入浴を終えて座敷に行くと、お布団が二つ並んで敷いてあり、豚の陶器の中の蚊取り線香から、一筋煙が上がっていた。

お父さんが用意して下さったのだ。

「花火が残っていたから、出しておいたよ。」とお母さん。

縁側に線香花火とマッチの大箱が置いてある。

私は、いつもなら先生におしゃべりばかりしていたのに、その夜は、お見合いのことが気になり、何も話せない。

先生が線香花火に火を付けてくれた。

小さい花がはかなく消えていく感じがする。

「中学はどうかな?」の先生の質問に、「先生の中にいやな人がいるの。」「運動クラブは楽しいよ。」「新しい友達が出来そう。」と短く応えるだけだった。

我家で花火をする時は、細い小さい線香花火の花がどれだけ長持ちするか、みんなで競争して賑やかにやっている。

その夜の三十本位の静かな線香花火大会は、すぐに終わってしまった。

話したいことも浮かばないので、休むことにする。

「僕は本を読んでから休む。」と先生。

なかなか寝付けなかったが、修学旅行の時いたずらして先生と親しくなったことなどを思い出していると、いつの間にか眠ったようだ。

目覚めた時は、家族の皆さんは起きて働いていたので、あわててしまった。

先生が、隣の床に入った気配はない。

具沢山の味噌汁と生卵と漬物の朝食は美味しかった。

しかし、おかわりを勧められても、胸がいっぱいでたくさん食べることができない。

先生は「またおいで。」と言ってくれたが、返事もそこそこに「さようなら。」をする。

大好きだった絵の教室の敏春先生が、結婚した時のことを思い出した。

淋しい気持ちになって、絵の教室を休みがちになり、一年位過ぎてやっと敏春先生の結婚を納得して、先生と元のように親しくなり大好きになった。

また、しばらくして、昌弘先生に会ったらもっと好きになりそうだし、先生がお見合いをして結婚したら、とても淋しくなりそうだ。

敏春先生の時と同じように、淋しくつらい気持ちになりたくない。

もう会わないことにしようと思いながら家に帰った。

「昌弘先生は、田畑のある農家の養子さんになるんだって。」と母に話しかけた。

「そうよ、先生の給料は多くないの。田畑のある家の娘さんと結婚したら、安定した生活が出来るから安心なのよ。」と母。

「娘さんしかいない農家も、学校の先生にお婿さんとして来てもらったら、助かるのよ。」と、母はそのように考えているようだ。

私の家は農家でもないし土地も財産もない。

私が大きくなっても先生のおよめさんになれないことが、はっきりしたように思った。

母は私の気持ちを知るよしもなかった。

昌弘先生に出会って、親しくなって好きになった。

楽しい思い出がたくさんあるし、線香花火のお別れ会もできてよかったと思うことにした。


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