お話「ラムネ屋トンコ」


第五十二回 昭和三十三年 秋 もっと恥ずかしいこと?

中学一年二学期の古文の時間、古文の教師がハヤト君の授業態度が悪いと不機嫌だ。

ハヤト君は、授業が終わるまで教室の後に立たされた。

シーンとした沈んだ授業で、教師の話を聞きたくない。

授業終了後の短いホームルームの時、「古文の先生から授業態度が悪い生徒がいると、何回か報告を受けた。なんということだ。聞かされる僕の立場になってくれ。いつも同じ生徒のようだが、今後この様なことがない様にしなさい。」と担任が怒った声。

それを聞いて、「なによ。事情も聞かないで、悪い生徒と決め付けて!」と私は気分が悪くなり、声に出したかったが止めた。

次の日、初めての「道徳」という授業が始まる。

教科書がまだ出来上がらないとのことで、プリントが配られた。

道路に日の丸の旗が落ちていて、米軍のジープが走って来て旗をひきそうで、通りかかった少年が飛び出して、日の丸を拾おうとしている絵が描いてある。説明の文章も載っている。

「命を顧みず、日の丸を守ろうとした少年の愛国心は素晴しい。」と担任が話した。

それを聞いて、私は納得できなかった。

大怪我をするかもしれないし、命を失うかもしれない。

担任はなんとひどい事を言うのかと、腹立たしかったが黙っていた。

「道徳」と言えば、私の通っていた小学校で六年の三学期、「西日本道徳教育研究会」が開かれた。

私達六年生は、参加する先生達の「荷物預かり係」をさせられ、目を見て丁寧に挨拶をするようにと指導された。

当日は朝から、とても多くの先生達(二千人位だったらしい)の鞄や靴やコートを預かり、てんてこ舞い。

私達の挨拶に丁寧に応える先生は少なく、深刻な表情の先生が多かった。

夕方、大会が終わり、黒っぽいコートや背広の大集団が、コツコツコツと音を立てて校門を出て行く様子は、あの戦争映画の軍靴の音を立て行進する軍隊と似ていた。

翌日の預かり係の反省会で、「私達は丁寧に挨拶したけど、先生達はそうでもなかった。」と誰かが言ったが私も同感だった。

暗い雰囲気の研究会だったので、「五年生のように道徳の参観授業でなくてよかった!」と私達は胸をなで下ろす。

次の絵の教室で、研究会の印象を敏春先生に伝えると、先生は「その様に感じたか、そうだろうな。」と考え込んでいるようだった。

しばらくして、県庁のあるY市で「道徳の授業反対の先生達のデモ行進が行われた」というニュースが伝わる。

その時、道徳の授業賛成と反対の先生達がいたので、暗い感じの道徳教育研究会だったのではと思った。

さて、初めての「道徳」の授業が終わった時、自分の担任の生徒の聖君やハヤト君達を悪い生徒と決め付ける担任に腹が立ってきて気持ちが収まらなくなった。

道徳のプリントの少年を素晴しいと言った担任に反抗心がわいたのだと思う。

すぐ後のホームルームの時間、「自分の受け持つ生徒を悪い生徒と決め付けて話すのを聞きたくありません。今後、悪い生徒と言わないで欲しい。」と担任の顔を見て発言した。

担任は、驚いた顔をしたが何も言わない。

「またでしゃばって!」という顔のクラスメートもいる。

アーア、またやってしまった。言わずにおれなかったのだから仕方ないと思った。

次の日の昼休憩時、担任に職員室に呼ばれた。

「悪い生徒と決め付けている訳ではない。彼らのためを考えて注意しているのだ。」など長々と話す。

他の教師から、自分の受け持つ生徒を悪い生徒と言われた時、一緒になってを悪く言わなくてもいいではないか。

その前に、生徒からも事情を聞いたらいいのになどと、考えながらしかたなく聞く。

午後の授業開始時間が近づいたので、やっと話は終わった。

慌てて教室に戻ろうとしたが、先程から便所に行きたかったのを我慢していたので、大急ぎで便所に向かった。

授業開始のベルがなり、五時間目の社会科の教師が教室の入り口で待っている。

便所の入り口に辿り着き中に入る前に、ホットしたとたんジャーとお漏らしをしてしまった。

予期せぬ出来事に、私も先生も見ていた何人かの級友も驚いた顔。

スカートは濡れなかったが、靴下と上履きが濡れ、床も濡れている。

私はまず、大急ぎで靴下と上履きを脱ぎ、雑巾とバケツを持って来て、濡れたところをきれいに拭き取った。

雑巾を何度も洗った後、疲れたと感じつつ、急に恥ずかしさがやって来た。

社会科の先生が「着替えに家に帰ってもいいですよ。」と同情の声で言ってくれる。

「はい。」と小さな声で応えて家へ向かう。

母は留守。大急ぎで、下着をきかえ、濡れた物を洗って干した。

学校へ引き返す道中、どうしてお漏らしをしてしまったのかを思い返した。

担任の長い話を聞いていて、早く便所に行けなかったからだ。

「悪い生徒と決め付けないで。」と担任に言ったから職員室に呼ばれたのだ。

その頃、恥ずかしいことは、弱い者いじめとみんなの困る事をすることと思っていた。

お漏らしをしたことは、私自身が恥ずかしいことで、みんなをさほど困らせていないだろうが、見たくない事だったろう。

担任に「悪い生徒と決め付けないで。」と発言したことに、何人かの人が嫌な顔をしていたから、みんなに迷惑をかけたことになるかな?悪い生徒と決め付ける担任の方が恥ずかしい態度ではないか。

などと自問自答しながら学校へ戻った。

教室に入ると、終わりのホームルームの時間だった。

私は黙って椅子に座り、みんなと同じように「さようなら」の挨拶をする。

級友は声を掛けにくいようすだし、私も話しかけなかった。

みんな三々五々教室を出た。

私は、いつも通り、隣の組の瞳ちゃんのところへ行って、声を掛けた。

数人の女子がいたが、目をそらしているよう感じる。

「としちゃん、お漏らしたん?」と瞳ちゃん。

「そう、失敗しちゃった。」と苦笑いしながら応えた。

「どうして?」「担任に捕まって、長話を聞いていたら、便所に行くのが遅れたの。」と笑い声になっていた。

教室のみんなの少し緊張した顔が、ほほえんだ。

「クラブに行こう!」と瞳ちゃん。

私はホッとした気持ちでクラブ活動に参加して、失敗のことを忘れて気分爽快になる。

この一件があったので、瞳ちゃんのように男子に好かれることは全く無くなったと思った。

「男子に好かれなくても困ることはないからいいわ。」と心の中で呟いた。


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