第五十八回 昭和三十四年 初夏 二年生の楽しい思い出
中学二年の四月下旬、「五月の始めの休みに、みんなでサイクリングに行こう。」と担任の先生が誘ってくれた。
みんなウキウキした表情で聞く。
それまで、そろばん教室の先生が、大好きなサイクリングに連れて行ってくれるので、私は教室に通っていた。
サイクリングの日は休んだことはないが、教室は休みがちだった。
すぐにそろばん教室を止めて、担任の先生とのサイクリングを楽しみにした。
サイクリングの日の朝、クラスの全員ではなかったが、男子も女子も自転車に乗って校庭に集合する。
先生の親しい先生達も一緒だ。
風薫る五月晴れのもと、国道を東に向かって一列になって出発。
やがて海岸通りに入り、海の匂いのする風を切りぺタルを踏んで進む。
「青い山脈」という映画のサイクリングのポスターを思い出し、こんな風だったのかと爽やかで嬉しい気分だ。
やがて、灯台のある松林の海岸に着いた。
お腹がすいていたので、おにぎりだけの弁当だったがとても美味しい。
食べ終えた男子達が、白い灯台のむこうのやさしく輝くさざなみの海に小石を投げて飛ばし始めた。
「二段跳び!」「三段跳び!」と自慢しあっている。
クラスの中には、ふざけ合ったり、いたずらしたりとまだ一年生のようなやんちゃな男子が多い。
勉強に取り組んでいるお兄さんタイプの男子も何人かいる。
むこうの方で、強そうな男子が言い合いを始めたが、すぐに終わったようだ。
それを見ていた一人の女子が「朗くんは怖い感じがするわー。」と言う。
「そうよー。私も怖いわ。」と他の女子が言った。
私は、従兄弟の激しい兄弟げんかを見ていたので、少々けんかをしてもクラスの男子を怖いと思ったことはなかった。
「そうかなー? 朗は本当は優しいんだがなー。」と先生が言われた。
「同感。」と私はうなずく。
朗くんは、小学低学年の時は女子にいたずらしていたが、高学年になったらいたずらをしなくなった。
家ではお母さんの手伝いやお使いをしている姿を見たことがある。
先生はクラスの生徒をよく見て分っておられる気がするし、受け持つ生徒を悪く言われないので、嬉しくなった。
そこで、先生がハーモニカを弾き始められたので、みんな集まってきて一緒に歌い始めた。
まだ上手に歌うという感じではないが、それでも愉快で楽しい。
何曲か歌った後、みんなでペダルを軽ろやかに踏んで帰路に着いた。
数日後のホームルームの時間、先生が深刻な顔をして教室に入って来られた。
きのうの校庭の掃除当番の男子達が、サボって掃除をしなかったそうだ。
クラス委員の聡君が、一人で全部したらしい。
掃除当番の男子が呼ばれて、前に出て横一列に並んだ。
教室全体がシーンとなった。
先生が、昨日のことが事実かどうか確かめられると、前に出た男子みんながうなずく。
「一人だけに掃除を押し付けて、サボるとは何と情けないことだ。」と先生。
「だが、僕は一人だけで掃除する行為も好きではない。みんなに声をかけてみんなで掃除をして欲しかった。」「それがだめなら、みんなと一緒にサボって、一緒に叱られる方が好きだ。」という風なことを話された。
一人ずつ一歩前に出るように言われて、サボった男子と聡君の頬を順番に平手でバシッ、バシッと叩かれた。
男子の頬が赤くなったが、先生の掌が一番赤いように見える。
「君達も痛かっただろうが、僕も痛かった。今日の事と今の痛さを忘れないようにしよう。」と先生。
先生の目も赤くなっていた。
バシッという音が聞こえた時から、怖くなったらしく手で目をおおう女子がいた。
叩く音が聞こえなくなって、先生の声がすると、みんなが真剣に聞く。
みんなうなずいていたし、目に涙をためている女子もいた。
帰りの挨拶をした後、女子は数人ずつ集まった。
「始め怖かったけど、先生の話分ったわ。」「先生の考えはいいと思う。先生のこと好きになったわ。」「その通りだわ。私もよ。」と大体同じような内容のことを話している。
私は「もっと前から好きになっていたわ。」と心の中でささやいた。
私は、サイクリングに連れて行ってもらえることや、朗くんのことを悪く言わなかったので好きになったが、もうひとついいことがある。
それは、先生が「昼の休憩時間教室で過ごしているようだが、校庭で体を動かす方が健康的だ。みんな外に出よう。」と言ってくれたことだ。
その後、みんなは外に出るようになり、私はボールで遊んだりして体を動かすと、気分がスカッとした。
それまでより午後の授業に集中できるようになったのだ。
先生も英語も以前より好きになった。
一年の時は、担任の言葉が嫌味に聞こえて、英語の授業が楽しくなかったのだ。
前もって教科書の英文をノートの左頁に写し、右頁に訳を書いていくことにした。
初めての単語などは、辞書で調べて下欄に記入することにした。
宿題が出た時、すでに出来ているので慌てなくてよいし、英語の授業が楽しみになった。
また、英語の歌もノートに写した。
平日は帰宅後、宿題をする時間がないことが多いので、日曜にすることにした。
数学も、教科書通りに順番に問題と解答を書いていくことにした。
これで急に教科書の問題の宿題が出ても大丈夫な訳だ。
ある日、「明日午前中に、西グランドで野球部が対校試合をするから、応援に来てくれないかな。」と先生。
野球部の顧問なので、クラスのみんなを誘われた。
ひろこちゃんに、「応援に行こうよ。」と声をかけると、快く「行こう。」との返事。
しずちゃんや瞳ちゃん達も一緒に行くことになった。
二年生になって、勉強のやり方が少し分ってきたし、運動も出来て、友達も増えたので充実してきた気がする。