お話「ラムネ屋トンコ」
第三十三回 昭和三十一年 九月 それぞれ違う

「明日、国語と算数の学力テストがありますから、復習をしてきて下さい。」と先生が言ったのは、五年生の秋のことだったと思います。
全国の小学生の学力を調べるテストに、私達の小学校が選ばれて、五年生と六年生が受けることになったのです。
私は夕飯の後に思い出して、家族みんなにそのことを伝えました。
「ふーん、そう。」と言っただけで、みんなは父の部屋(表の茶の間)で、ラジオを聞き始めました。
花菱アチャコの「お父さんはおひとよし」の番組が始まったので、もう笑い出しています。
私だけが奥の子ども部屋に行き、国語の教科書を開きました。
みんなが大声で笑うので、どうして私だけが復習をしなくちゃいけないのと、うらやましく悲しくなって、目に涙がたまります。
教科書の字が見えないので、復習はやめて、寝床に入って、ラジオを聴こうとしました。
アチャコの「むちゃくちゃでござりまするがな。」だけは聞こえますが、他はよく聞こえません。
目が涙でぬれていて恥ずかしいので、今さらみんなのところへ行けません。
学力テストのことを言わなきゃよかったと思い、泣き声が出てしまいそうです。
夜に泣くと、つぎの朝、目が腫れて変な顔になるので、我慢しました。
おもしろいラジオが聞けないので、つまらない夜ですが、あきらめて寝ることにしました。
つぎの日の学力テストは、習ったことだけで難しくありませんでした。
しばらくして、先生が九十点以上の人に「よくがんばりました」という小さな賞状をくれました。
驚いたことに私も、算数の九十点で賞状をもらいました。
それまで、一番いい点は八十五点だったので、九十点は初めてです。
「百点とったら、おこづかいを百円もらえるんだ。」と誰かが言いました。
「百点ではないけど、賞状をもらったから、おこづかいを貰えるかも知れない。」と友達が言います。
私も家に帰って、話してみることにしました。
友達の中には毎日おやつ代として、五円か十円のおこづかいを貰っている子が多いのです。
我家は学用品を買うために、一ヶ月三百円貰って、こづかい帳をつけています。
不足の時は、父がこづかい帳を見て、必要な額をくれます。
おやつを買うお金は貰えず、おやつは母が用意してくれます。
たまには、みんなと一緒におやつを買って食べたいので、もっとおこづかいを欲しいのです。
家に帰って、まず父に小さな賞状を見せました。
すると、「テストは先生の教えたことが、生徒に伝わっているか調べるためのものだ。点が悪い時や分かっていない生徒に、先生が工夫して教えることが大切なんだ。」と父が言いました。
つぎに台所に行って、母に賞状を見せて「百点の友達は、おこづかい百円貰えるんだって。」と話すと、「テストについて、家によって考えが違うのよ。」「学力テストはどの位力がついているか、調べるためのものよ。わざわざ前の日に復習しなくても、いいと思っていたのよ。」と母。
我家ではテストが百点でも、こづかいが貰えないようです。
母が「散髪屋さんには、散髪屋さんの暮らしがあって月曜日がお休みよ。」「うちはラムネの製造がない日が休みだから、その日は遅くまで寝ているのよ。」「お父さんは、他の家と違っていていいという考えよ。」と言います。
母はいつも朝七時に起きますが、日曜日だけは遅くまで寝ています。母の言い訳のように聞こえましたが、私は母が日曜くらいゆっくり寝ていて欲しいと思います。また、病気にならないよう願っているからです。
私もみんな同じにできないのだから、違っていてよいのだと思いました。
この前、校庭にいる先生を指差して「あの先生は、自分の組の生徒の家庭教師を、しているんだって。」と友達が話ました。
「通知表の点が一や二で授業の分からない生徒の家に、教えに行っているの? 良い先生ね。」と私は言いました。
「ちがうよ! お金持ちが、お金を払って家庭教師に来てもらっているのよ。テストの点がよくなるためによ。」と友達。
私には訳がわかりませんでした。
ずっと前の三年生の時、算数がよく分らない友達がいました。
四年生になる前に、三年生の算数がわかるまで、先生が教えてくれるといいと思いました。
しかし、そのことを話す雰囲気では、ありませんでした。
五年生では、みんなが分るまで、教え合えるといいなと思います。
だいぶ前、「テストの点で人間の価値が決まるのではない。えらい仕事をしている人が偉いのだ。」と、父が言ったのを、思い出しました。
この辺りでは、きつくて辛い仕事を、えらい仕事と言います。
また、仕事で疲れた時「えらいなあ。」「あー、えらかった。」とも言います。
しっかり働く人を誉めて、感謝する言葉でもあり、自分を労う言葉だとも思いますし、ステキな言葉だと思います。
