お話「ラムネ屋トンコ」

お話「ラムネ屋トンコ」

第三十八回 昭和三十二年 三月 金銀の巻き紙

第038回の絵

五年生のひな祭りの前です。おひな様を作るので、明日金紙と銀紙を学校に持って行くことになっていたのを、夕食後思い出しました。

色紙の引出しを探しましたが見当たりません。

せいちゃんの文具店はずいぶん前に、駅の近くに引越していたので、今から、その店に行くには遠くて無理です。

「明日学校で金紙と銀紙がいるの!どうしよう。」と家族の前で言うと、「思い出すのが、遅すぎるよね。」と姉。

「ひょっとすると、印刷屋さんにあるかもしれないぞ。」と父。

すぐ近くの印刷屋さんには、今までいろいろな紙を貰っているので、馴れています。

今までに行った時いつも、おばさんが出て来て聞いてくれます。

そして、おじさんが印刷場で紙を探してくれるのです。

外は薄暗くなっていたので、走って行きました。

玄関の戸を少し開けてみると、カギが掛かっていません。

「こんばんはー。」と大きい声を出すと、おばさんが出てきて「こんばんは。今日は何が必要かしら?」と、いつものように聞きます。

「金紙と銀紙があったら、お願いします。」と私。

そこへおじさんが出てきて、「金紙なー。古いのがどこかにあったぞ。」と。

印刷場に入って行ったので、私もついて行きました。

薄暗い中に、大きな印刷機とたくさんの紙が見えます。

活字も箱の中に並んでいます。

おじさんが奥の方の電気を付けて、高い所の戸だなを開けました。

巻いてある金紙と銀紙を出しました。

ほこりを払って、「少し古いなー。重いぞ。」と言って手渡してくれました。

ほんとうにずっしりと重いので、私は金と銀の宝物を貰った気分です。

「もう古いので使わないから、全部持って行っていいよ。」とおじさん。

「ありがとうございます。」とていねいにお礼を言って玄関を出ました。

ちょうど丸いお月様がK川の上に出ていて、金紙と銀紙が輝いています。

印刷屋さんの門も垣根もどろぼうが入れないように、高くて頑丈そうで、この家はお金持ちのようです。

遠慮しなくていいように思うけど、今日は貰いすぎたように感じます。

帰って父に見せると、「古いけど高価なものだ。」と言います。

私は時々必要な物を買うのを忘れて、近所の人に貰って助かります。

いとこのお姉ちゃんが「うっかりとしちゃん。ちゃっかりとしちゃん。」と言ったのを思い出します。

これからは忘れないようにして、近所の人からの貰いすぎに気をつけようと思いました。

翌日の工作の時間、金紙銀紙のない人もいたので、みんなで使いました。

去年作ったひな人形より、かがやいて見えます。

金紙と銀紙がたくさん残ったので、土曜日、絵の教室に持って行きました。

去年は時々絵の教室に行ったのですが、今年は初めてです。

「よう、トンコ元気か。」と敏春先生がニコニコ顔です。

「金紙と銀紙を貰って、たくさんあるので持って来たの。」と言うと「それは助かる。役に立つぞ。」と先生。

和子ちゃんや砂子ちゃんやみんなは、山下清と言う人のちぎり絵のような作品に、取りくんでいます。

金紙と銀紙をさっそく使い始めました。

みんな真剣で、楽しそうです。

先生は先週みんなが彫ったというエッチングの銅版に、インクを塗って印刷しています。

しばらく見ていると、「トンコに見せたい絵がある。三枚の絵を見てごらん。」と先生が話しかけました。

年末にみんなが描いた「友達の絵」の三枚です。

砂子ちゃんと玲子ちゃんと和子ちゃんが描いた絵ですが、みんな同じように詳しくていねいに描いてあって、私はとても上手と思います。

敏春先生は子どもの絵に上手下手はないという考えなので、「上手」と言ったことはありません。

先生は、真ん中の玲子ちゃんの絵を取り除いて、私が描いた友達の絵を置きました。

「どう思う?」と先生。

「すごい、左の砂子ちゃんの絵はさっき見た時より、詳しく描いているように見えるよ。右の和子ちゃんの絵はさっきよりていねに描いているように見えるね。」「私の絵は二枚の絵と違うね。白く残ったところに、色を塗って丁寧に仕上げをした方がいいわ。」と応えました。

「そうだよな。この三枚はとてもよい絵だ。中国新聞の絵画コンクールに間に合うから、すぐ出そうと思う。きっと表彰状が届くぞ。」と先生。

みんなも私も表彰されるために描くのではありませんが、表彰されると絵の具が貰えるので、いいことだと思います。

私は塗り残したところに、色を塗リはじめました。

今までで一番ていねいに絵を仕上げて、いい気分です。

絵の教室は楽しいので、また来ようと思いました。

そこへ、先生の教え子の中学生のお兄さん達がやって来ました。

「敏春先生は、戦争で父親をなくした生徒のお父さん代わりのようよ。」と、二年上の洋子さんが言っていたことを、思い出しました。

お兄さん達は、何か相談に来たようで、先生と話し合っています。

私達は、片付けて先に帰りました。

次の土曜日は、もちろん絵の教室に行きました。

今まで通り、先生のお話で始まり、戦争中に台湾の小学校で、日本語などを教えていた時の話です。

台湾の小学校でも、戦争で親をなくした子ども達がいたそうです。

「戦争は子ども達の親を奪います。軍隊や戦争は人を狂わせる。今は新しい憲法になって、戦争をしない国に決まったので、本当によかった。」と明るい表情になって、お話は終わりました。。

敏春先生は、台湾でも父親を失った子ども達の、父親代わりだったのだろうと、お話を聴いていて分りました。

また、母が病気でずっと会えなかった私を、先生が心に止めて、接してきてくれたと感じたのです。

三学期末の朝礼の時、絵画コンクールの表彰がありました。

やはり、敏春先生が言ったとおり、私達の三人の「友達の絵」は中国新聞の絵画コンクールで入選です。

あの時の真ん中の絵を描いた玲子ちゃんも、他の絵画展に入選でしたし、合計二十人位が表彰されました。。

校長先生は「みんなががんばって絵を描いているので、有名な小学校になりました。」と喜んでいます。

私達は絵の教室で楽しいから絵を描いているので、表彰されるのはおまけみたいなものですが、先生達が喜ぶので嬉しくなりました。

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