第二十回 昭和三十年 春 四年生は男女仲良し
四年生になって、担任の先生が替わりましたが、クラスの子ども達は同じで、三年の時より、みんなが仲良しになりました。
お手玉やおはじきやゴム飛びを、男女一緒に遊びます。
男子の遊びに、女子も入れて貰います。
まず、二階から一階への階段の手すり滑りは、スリルもありとても楽しいので、流行しました。
「今年の四年生の女子は、おてんばすぎる。」「手すり滑りは、危ないからやめましょう。」と先生達の声が聞こえます。
茂子ちゃんと母里子ちゃん達と、「これが滑りおさめ。」と言って、先生の目を盗んで滑りました。
「怪我をしたら大変。」ときびしく叱られました。
外の校庭では、桜が散って若葉が輝く木のそばで、男子が馬乗り遊びをしています。
もちろん、私達女子は馬乗り遊びに、入れて貰いました。
校舎の板壁を背に、一人の女子が脚を広げて立ち、男子がその脚の間に頭を入れて、馬になります。
馬になった男子のお尻に、つぎの女子が頭を入れてます。
その次は男子というふうに、五・六人の長い馬ができます。
もう一方のグループが、跳び箱のようにして、長い馬に乗っていきます。
全員が乗ったら、立っている女子と馬に乗った一番後の子が、じゃんけんです。
負けたほうが、次ぎに馬になります。
「あー、なんてことを!」「女子が馬乗りをするなんて!」「危ないからやめて!」と先生達はあきれた様子です。
私達女子は手すり滑りや馬乗り遊びで、怪我をしたことは一度もありませんが、しかたなくあきらめました。
その後時々、男子が、私の家に来るようになりました。
我家の裏にあるラムネビン捨て場で、ラムネ玉を拾うためです。
裏から、ガラガラという音がすると、「危ないからやめるよう言いなさい。ラムネ玉を分けてあげなさい。」と、いつも父は私に言います。
私が十個ずつ男子達に渡すと、男子は決まって「ラムネ玉ゲームをしよう。」と言います。
まず、それぞれがラムネ玉を遠くへ飛ばします。
一番遠くまで飛んだ玉の持ち主が、その玉で他の玉に当てるとその玉が貰えます。
当たらない時は、次の遠い玉の持ち主が、他の玉を狙います。
ゲームを続けて、手持ちのラムネ玉の多い方が、勝ちです。
また、地面に三角を描き、その中にラムネ玉を入れます。
つぎに、自分の持っている玉で投げ当てて、外に出したらその玉が貰えるゲームも、みんな好きでした。
私はいつもラムネ玉で遊んでいて、上手なので必ず勝ちます。
すると、「左手でしよう。」と誰かが言います。
やはり、私が勝ちました。
ゲームを楽しんでいると、ラムネ作りの手伝いのおばちゃんが、炭酸ガスが不足して、ラムネ玉が上らないラムネを、持って来てくれます。
ふたが出来なくて売り物にならない、少し気の抜けた甘いラムネは、人気がありました。
「ラムネ飲み競争をしよう。」とまた男子が言います。
やっぱり私が勝ちます。
それでも男子は、ごきげんで帰って行きました。
我家にラムネ玉を取りに来たのが分かると、叱られるからか、ラムネ玉を持って帰りません。
我が家のラムネ玉は増えこそすれ、減ることはありませんでした。
ある時、「としこにわざと負けてやった。」と、ラムネ玉のゲームをした男子の話し声が、聞こえたのです。
姉にそのことを話した後、「でも、ラムネ飲み競争はわざと負けたのではないよ。」と付け加えると、「ラムネを早く飲めることは、自慢にならない。」と姉ははっきり言いました。
なんだか、少しがっかりでした。
一方、四年生の先生達は、女子のおてんばがどうしたらなおるか、頭を抱えているらしいのです。
先生達は何度も学年会議を開いて対策を考えているようでした。