第二十一回 昭和三十年 晩春 茂君と友達に
四年生の五月のある日、学校から帰って見ると、ハンチング帽子を深くかぶった、黒っぽい背広を着た、二人のおじさんが来ていました。
経済などと書いてある、父の学生時代の古い重たい教科書や本や雑誌を、父とおじさんが蔵から運び出して、出入り口に並べました。
次に、おじさんが一冊ずつ表紙や目次などを、調べています。
父は黙って腰に手を当てて、じっと見ています。
全部調べ終えて、「おじゃました。」と言って、おじさんは帰って行きました。
父はその通りという顔で、見送りました。
「こうあんけいさつらしい。何もなくてよかった。」と、製造場の手伝いの人たちが、小声で言いホッとした様子です。
警察の人が、父の学生時代の教科書や本などを、調べに来たことに驚きました。
なぜなのか気になったのですが、父がふきげんなので、聞くことができません。
次の日曜日、父は蔵の出入り口の古い重たい本を、縄で束ねて五束作りました。
「T川のそばの廃品回収をしている茂君の家に、この本を持って行って、買って貰いなさい。」と弟と私に言います。
木で作った一輪の手押し車に、本を乗せて、二人で出かけました。
我家の横の小道をK川と反対側に行くと、れんげ畑と菜の花畑があり、すぐT川につき当たります。
川にそった道を川下の海の方へ行くと、茂君の家があります。
「こんにちは。」と声をかけると、茂君とお父さんが出て来ました。
「この本を買って下さい。」と言うと、お父さんがハカリの先のクサリを縄に掛けて、重さを計りました。
そして「ありがとうございます。」と言って四十円くれたのです。
お礼を言って家に帰ると、父が「お駄賃。」と言って二十円ずつくれたので、二人は大喜びしました。
「朝鮮の人を悪く言う人がいるけど、茂君のお父さんは正当な取引をする、良い人だ。」「もっと本があるから来て下さいと、頼んでおいで。」と言ってから、父は蔵に入りました。
茂君の家に行って帰ってみると、もっと多くの古い本を、父と弟が運び出しています。
おじさんが、ひもとハカリを持ってやって来ました。
父と話しながら、おじさんは慣れた手つきで、本をひもで結わえて重さを計ります。
「ありがとうございます。」と、父にお金を渡しました。
そして「リヤカーを持ってきます。」と言って、おじさんは重たい本を置いたまま、帰って行きました。
間もなくして、茂君が三輪のリヤカーを押して来ました。
古本の大きい八束を積んで押してみると重そうです。
「手伝うよ。」と言うと、「大丈夫。」と茂君は元気な声。
我家の横のまがり角のところだけ手伝いつつ、「お駄賃もらえる?」と聞きました。
「うん。」と返事したので、よかったと思って、見送りました。
父が「日本が占領していた朝鮮は、戦争にまきこまれて、ひどい目にあったようだ。戦後は北半分はソ連、南半分はアメリカに占領されて、分断されたそうだ。南北の行き来はできなくて、兄弟や親戚の人に会えないので気の毒になー。」「日本は戦争に負けたけど、北と南に分けられんでよかった。」と、しみじみ言いました。
これを機会に茂君とも親しくなり、我家の前の路地でカン蹴りやかくれんぼや縄とびなどを、楽しみました。
その頃、草花で作るお弁当ごっこが流行っていて、瞳ちゃん達と庭から誘いましたが、茂君は「それだけはいやだ。」と、垣根の外から見ているだけでした。