お話「ラムネ屋トンコ」


第三十二回 昭和三十一年 初秋 私の町内はおもしろい

五年生の秋が深まった頃、同じ学年の俊君の家の前に、俊君と茂君と瞳ちゃんも加わって集まりました。

隣はGさんの家で、庭のざくろの木の枝が垣根から外に垂れ下がり、実がキラキラ光っています。

去年、母の届け物をした時、Gおじさんが「外のざくろを取ってもいいぞ。」と言いました。

遠慮なくもぎ取って、みんなで食べ始めたのですが、とても酸っぱくておいしいとは言えなかったのです。

ただ一個だけはとても甘く、みんなで分けて少しずつ食べました。

甘いのであれば欲しいのですが、見ただけでは分かりません。

そこで、それぞれのざくろの実から、一粒づつ食べてみることにしました。

甘いのがあったら、おじさんに貰いに行くことにしようと思ったです。

一粒食べ始めようとすると、垣根の中から「こらー。」とおじさん。

びっくりして「わー!」と声をあげると、「うるさいぞー。」とおじさんの怒った声。

今日のおじさんは、機嫌が悪そうです。

おじさんは仕事に行かないようで、ほとんど家にいます。

にぎやかに遊ぶ私達は、しばしば「やかましーい。うるさーい。」と怒鳴られます。

Gさんの私有地にはGさん所有の借家が数軒あり、私道や空き地に桜や紅葉や竹などの木があり、かくれんぼや鬼ごっこに最適です。

我家の前の狭い路地で、毎日のように、年上のごうちゃん達が三角ベースをして遊んでいて、メンバーが少ない時寄せてくれます。

その路地よりGさんの私道の方が広く、三角ベースをするのに都合がいいのです。

しかし、今日は残念ですがあきらめます。

俊君の家の二階の子ども部屋で、遊ぶことになりました。

以前、優しい中学生のお兄さんとお姉さんが、紙に点点をたくさん書いてジャンケンで勝ったら点と点を線でつなぎ、三角形を作って取るゲームを教えてくれました。

今日は、まだお兄さんとお姉さんが中学校から帰っていないので、弟さんと一緒に三角取りゲームを真剣にジャンケンをして楽しみました。

ゲームの後はかくれんぼです。

弟さんがオニになった時、私達は押入れに隠れてお布団をかぶったので、オニが押入れの戸を開けても見えません。

オニは、ひと回りして私達四人が見つからないので、「見つからんので、もうやめた!」とあきらめて探しません。

四人は狭い押入れのお布団の中で身を寄せ合って、ぴったりくっついて息を潜めていました。

窮屈でもぞもぞし始めましたが、オニが見つけてくれません。

私が熱苦しくなって伸びをしたとたんに、ふすまがオニの上に倒れてしまいました。

ふすまがへこんで今にも破れそうです。

弟さんは不機嫌な顔をしています。

ふすまを元に戻して、遊ぶのは終りにしました。。

十一月になり、子ども会世話人のおじさん達が、「冬休みにお楽しみ会をするから上級生が下級生に何か楽しいことをして下さい。」と言います。

私は「みんなで寸劇をしよう。」と提案したのですが、残念ながらみんなは賛成しません。

男の子がなぞなぞゲーム、私が教科書にのっている「どんぐりの一生」のお話を、絵に描いて紙芝居をすることに決まりました。

学校で朗読コンクールがあるので、私は「どんぐりの一生」を何度も読んで覚えているから大丈夫です。

紙芝居を作って読んでみましたが、歌があった方が楽しそうなので、歌に自信のないおんちの私は、瞳ちゃんに相談しました。

「みんなが歌うことにしよう。」と言って、「どんぐりの歌」を瞳ちゃんがリードしてくれることになったのです。

夏と同じように冬のお楽しみ会も、男女仲良く愉快に過ごしました。

私は寸劇ができなくても、紙芝居をして、最後に楽しく歌をうたって、とても満足な気持ちになりました。

瞳ちゃんは歌がとても上手で、お琴を習っていて、いろいろな曲を弾くこともできます。

それからは、瞳ちゃんが学校で習った歌などを、一緒に歌ってくれるようになりました。

以前は、音に合わせて歌うのに疲れていましたが、最近は歌うことに慣れて疲れなくなり、歌っていると楽しくなります。

秋になり、俊栄先生は教頭先生の仕事が忙しく、歌のけいこを受けることが出来なくなりました。

が、これからは、瞳ちゃんが私の歌の先生のようです。

夏休みに、小鳩くるみや松島トモ子という子役のでる映画を観ましたが、可愛らしくて歌も踊りもダンスもとても上手です。

おんちの私には、子役は無理のように思い始めました。

母に、劇が「とても上手ね。」と、誉められたいという私の夢は、子役になるより、学校の研究発表会の劇に出る方が叶うと、思うようになりました。


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