第三十九回 昭和三十二年 初春 弟とのきょうだい喧嘩
私が五年生になると、弟は三年生になり、いたずらが多くなり、二人のけんかが増えました。弟が小学一年の時は学校に慣れるのに精一杯で、いたずらは減ったのですが、学校に慣れると、いたずらが増えてきました。
最近、友達の間で、紙で作った着せ替え人形が、流行っています。
女の子の紙人形に、パジャマやドレスやスポーティーなズボンとジャンバーとかコートなど作って、着せ替えて遊びます。
子ども部屋や台所や食堂やお風呂場などを、お菓子箱や石鹸の箱を利用して作ります。
しおりちゃんの家には、その頃ではめずらしくステキなベッドがあるので、そんな家に住みたいなと夢見つつ、ベッドルームも作りました。
一番大きい部屋の箱に、小さい部屋の箱や人形や着せ替えの服を入れて、風呂敷に包んで、友達の家を持ち回りで遊んでいます。
自分の着たい服を考えて、紙で服を作ることも楽しいことでした。
学校から帰って、着せ替えごっこの風呂敷包みを持って、急いで友達の家に集まります。
開けて見ると、着せ替えの服などが破れているので、困ることがしばしばです。
弟が出して、破ったに違いありません。
帰って弟に文句を言うと、私を叩こうとします。
最近、弟は力が強くなり叩かれると痛いので、私は外に逃げます。
あわてて外へ出て、下駄か靴を履けない時は、それを持って逃げます。
斜め前の家の角を曲り小道を行くと、印刷屋があって小道をはさんで、瞳ちゃんの家があります。
そこへ逃げ込めば、弟は入ってきません。
私は足を洗わせてもらい、父が六時の夕ご飯の時は家にいるので、その時間に合わせて帰ります。
父の前では、弟は私を叩きません。
瞳ちゃんが留守の時は、すぐ前のK川の堤防の階段から、川原に下ります。
普通は川の半分くらいは川水が流れてい、半分の川原は丸い大小の石が敷きつめられたようになっています。
冷たい川の水で足を洗って、太陽で温まった石の上を歩くと、足は乾くので履物をはきます。
弟が追いかけてきて、堤防の上から階段を下りようとしたら、もう一方の階段から上がると、追いつくことはありません。
川原で三十分くらい遊んで六時に帰ることが、週に二、三回あると困ってしまいます。
ある日、けんかになり、あわてて履物を持たずに出ました。
裸足で川原に下りてしばらくして、バス通りの方から帰ることにしました。
弟が小道の角に隠れていそうだからです。
バス通りの薬局のお姉さんと目があったので、「こんにちは」とにこやかに挨拶しました。
すると「としちゃんの家はきょうだい仲良しでいいね。」とお姉さんが声をかけたのです。
ドッキとしましたが、にっこりして手を振りました。
お姉さんは私の裸足を見て、あんなことを言ったのかなと、気になります。
もうけんかを止めた方がいいなと、思いながら家に帰りました。
夕ご飯の後、父が便所に行ったすきに、弟が、また叩こうとします。
「もういや!瞳ちゃんの家にテレビを見に行く時、連れて行かない!」と弟に言いました。
弟は怒って、鉛筆を持った手で、私の足を突いたのです。
鉛筆の尖った芯が、ふくらはぎに入り込みました。
私はオバーに「いたーい。いたーい。」と大声をあげました。
父が見に来て、赤い怒った顔です。
弟の頬の左右を平手でバッシバッシと強く叩きました。
弟も私もびっくりしました。
父が叩いたのは初めてで、目が潤んでいます。
弟が黙っていると「怪我をさせたらいかん。」とまた叩きそうです。
弟は「ごめんなさい。」と父に言いました。
父が「としこにも言いなさい。」とまだ怒った声です。
弟は「ごめん。」と私に言いました。
私は黙ってうなずきました。
弟とけんかしない姉が来て「要らんこというからよ。」と言います。
この時ばかりは、姉の言うとおりと思いました。
弟に何かを破られたら治せばいいし、なくなれば作ればいいわと、心の中で思いました。
喧嘩して父が怒るのも弟が叩かれるのも嫌だから、私はこれからは大目に見ようと決めました。
それに、夜テレビを見に行くのに、一人では許可がでないのだから、一緒に行くほかないのです。
それに「私だけが知っている」という推理番組の時は、怖くて一人では帰れません。
そしてこの頃、「日本海の海岸で人さらいに連れて行かれた人がいる。」といううわさがありました。
瀬戸内海の海辺も、夜は危ないと言われていて、瞳ちゃんの家のすぐむこうは海ですから、大人の女の人も一人では、出かけませんでした。
父に怒られた後、弟のいたずらは減り、二人で瞳ちゃんの家にテレビを見に行くことは続きました。
しばらくして弟は四年生になり、ある日、怒った顔をして学校から帰ってきました。
半ズボンが泥で汚れていて、膝をすりむいています。
すぐに、電話の受話器を取って電話帳をみながら、ダイヤルを回し始めました。
「僕は小学四年生ですが、学校の帰りに、中学生三人に取り囲まれて文句を言われて、押し倒されて怪我をしました。二度とないように注意して下さい。」と一気に言って、電話を切りました。
「すごい。自分で電話してよく言えたよね。」「ほんとに。」と内弁慶の弟が自分で電話したことのほうに驚いて、母と姉が感心しています。
「どこで?」と姉が聞くと、「近道を帰っていた。」と弟。
近道は人通りの少ない道です。
弟が、私に少し怪我をさせただけなのに、父にひどく怒られて叩かれたことを、思い出しました。
弟は怪我させた中学生を怒って欲しいと思って、中学校に電話したに違いありません。
翌日、姉が中学校から帰って報告しました。
「昨日、中学生が小学生を取り囲んで、暴力をふるっているのを見ました。注意しようと近づくとみんな逃げました。今度見たら、警察に知らせます。厳しく指導して下さい。」と卒業生から電話があったそうです。
卒業生が、弟に乱暴しているの中学生を見て、黙っていられなくて、学校に電話をしてきたそうです。
「中学生が小学生に暴力をふるうことは、とても恥ずかしいことで卑怯なことです。決してあってはならないことです。何かの間違いであることを願っていますが、心当たりの生徒は申し出なさい。」と朝礼の時、先生が話したそうです。
弟は人通りのある大通りを、友達と通学するようにしたようです。
その後、中学生に怪我をさせられることはありませんでし、中学生が小学生をいじめた話を聞きませんでした。