第四十回 昭和三十二年 春 六年生になってドキドキ
六年生の始業式の日、登校してみると、教室の入り口に組別の名簿が貼ってあり、男子と女子の名前が書いてありました。
五年生の時は男女別でしたが、四年生の時と同じ男女混合組にもどったのです。
名前のある教室に入ってみると、ざわついて、みんなそわそわしています。
五年生の時、男女別になったのは、女子がおしとやかになるようにと、考えてのことらしいのですが、効果があったのか、先生に聞きたいと思いました。
受け持ちの先生はお母さんのようで、真面目な感じなので質問できません。
ですから、なぜ男女混合組にもどったのか、分からないままです。
「この一年間、よく学びよく遊び楽しく過ごしましょう。」と先生が笑顔で話しました。
まかしといて!早速、私達は休憩時間に、「ひさしぶりに馬のりしよう。」「賛成!」とすぐに決めて遊び始めました。
じゃんけんで女子が負けて、前の子のお尻に次々頭を入れて、十人の長い馬が出来ました。
男子が乗ってきましたが、四年生の時より大きく重くなった気がします。
私達女子も足腰がしっかりしてきたので、背中に男子が乗っても大丈夫です。
次に、女子が男子の馬に乗りました。
男子は骨が太くなったようでびくともしませんが、落ちないように男子の体にしがみつくとドキドキします。
遠くで、お年寄りの男の先生が、鳩が豆鉄砲を喰ったような顔で見つめています。
つぎに男子が乗る番です。
私達女子が馬になって連なっていると、「たけしが好きな女の子の上に乗るように、順番をかえろ。」「俺はさくらちゃんの上に乗りたい。」「俺も。」とひそひそ声が聞こえてきます。
さくらちゃんは、クラスで一番胸がふくらんでいるのです。
お年寄りの先生が怖い顔をして、近づいて来るのが逆さまに見えます。
ちょうどその時、始業のチャイムが鳴ったので、終りにして教室に入りました。
授業が終わって、遊びのリーダー的存在の母里子ちゃんの周りに、女子が集まりました。
「男子はたけしくんを好きな子の上に乗せようと、相談しているよ。」「男子は女子を触りすぎよ。」と誰かが言いました。
「男子は中学生のお姉さんが言うようにHだから、もう馬乗りは止めよう。」と母里子ちゃん。
「賛成。」「賛成。」とみんな同意しました。
女子の後を追いかける男子のことを、アルファベットの「ABCDEFG」の次の「H」と呼ぶのが、流行っていました。
英語で女子のことを「Girl」と書くからGの次のHだそうです。
つぎの日、馬乗りはやめて男女に分かれて、鬼ごっこをして遊ぶことにしました。
男子が女子を捕まえたら、男子の陣地に連れて行きます。
私達女子が助けに行って、タッチすれば自由になれるのです。
女子が一人でも捕まったら、どうにか工夫して見張り役の男子を誘い出して、別の女子が助けます。
しかし、男子が女子に捕まると誰も助けに来てくれないので、走るのが遅い男子は、ずっと女子の陣地に入れられたままです。
次の日も、走るのが早い女子が鬼ごっこをするので、走るのが遅い同じ男子達が捕まったままです。
その男子達は、いじめられていると思っているかもしれません。
しかし、捕まることが分かっていても、鬼ごっこに加わります。
捕まってもいいから、一緒に遊びたいようです。
その頃、「戦後強くなったのは、女とくつ下。」という言葉が流行っていました。(戦前は、ストッキングは絹糸で出来ていたので、まさつに弱く破れやすかったのです。戦後はナイロン糸で作られるようになり強くて破れにくくなりました。戦前はなかった、女性の参政権もできて、女も強くなったと言われていました)私達女子は遊びながら、そうかもしれないと思いました。
男子は女子と違って、遊ぶ時は特にふざけたり、でたらめなのだと分かったので、だんだん休憩時間には男女でゲームをしなくなりました。
しかし、男子は体育の時間のドッチボールやかけっこなどの時は、女子に負けまいとして、必死に頑張るのでびっくりです。
四月末の席替えの日のことです。
始業式の日から出席簿順に席に座っていたのですが、黒板の字が見えやすいように、背の順で座わることになりました。
私はかず君の前の席になりました。
四年生の時、私の運動靴が見当たらないので、困って探していました。
誰かがいたずらで隠したに違いありません。
「こんなところにあるぞ。」と高い靴箱の上から取ってくれたのが、背の高いかず君です。
その時、かず君は優しいな、と思いました。
そのかず君が後にいると思うと、なんだか落ち着きません。
馬乗りでかず君の上に乗った時、ドキドキして落ちそうになりました。
前からまわってきたプリントを、後のかず君に渡す時も、なんだか恥ずかしくなります。
こんなことは初めてです。
町内の俊君も茂君そして聖君も好きですが、ドキドキしたことはありません。
同じ教室でも、かず君が遠くの席の時は平気でしたが、近くになったとたん落ち着かないのです。
この前、ラジオで言っていた「初恋」ってこのことかな、「片思い」も聞いたことがあるけど、このことかなと思いますが、まだよく分かりません。
五月末に席替えがあり、離れると落ち着きましたが、気になるのでつい、かず君の方を見てしまいます。
参観日にお母さん達がやって来ました。
かず君は背がクラスで一番高いのですが、かず君のお母さんは背が低いことに気がつきました。
やさしそうなお母さんですが、顔が似ていない気がします。
つぎの保護者会の時も、かず君とお母さんをじっと見てしまいました。
やはり似ていないように思います。
その次の日「かず君のお母さんはいいお母さんね。いつもズボンやシャツに、きれいにアイロンを掛けて下さるね。」と担任の先生が、かず君に話しました。
かず君は恥ずかしそうに、頬を赤くしてうなずきました。
私はその後も先生の言葉に、気をつけていました。
他の数人の男子は、いつもアイロンの掛かった服を着ていますが、先生は他の男子には、お母さんのことを言いません。
かず君を産んだお母さんではないけど、かず君をやさしく世話をしているので、特別に「いいお母さん。」と言ったに違いないと感じたのです。
私はかず君のやさしいお母さんを、好きになりました。