お話「ラムネ屋トンコ」
第一回 昭和二十五年 晩夏 お池にはまってさあ大変!

九月初め、近所の美木のおばさんに連れられて、私はキリスト教会付属幼稚園に、初めて登園しました。
なぜ、通常の四月ではなく、九月から通園することになったのか、不思議ですよね。
それはおちょこちょいの私に、危ないことがあったからで、そのことから話し始めましょう。
五才になったばかりの夏の日、我家のそばの田んぼの稲に、小さな実がつき始めていました。
美木さんちの足の不自由なお姉さんと、近所のゆきお君と私の姉と一緒に、あぜ道を歩いている時のことです。
「まってー。」私はかぶっていた、麦わら帽子が飛んだので、追いかけました。
田んぼには、戦争の時、爆撃された民家の焼け跡に、畳三枚位の大きさの穴ができていました。
その穴に雨水がたまり、池になっていて、そこに帽子が転がって浮かびました。
私は帽子を拾おうとしてしゃがんだ時、足を滑らせて、灰色の泥水の池に、ドボーンと落ちたのです。
「たすけてー。」と叫ぶと、ゆきお君と美木お姉さんが、松葉杖を差し出し引き上げてくれました。
手も足も服も泥んこで、そのまま遊べないほどです。
家に帰りましたが、父もおばあちゃんも留守だったので、泥んこの私は、美木お姉さんの家に行くことになりました。
すぐに、美木おばさんがお風呂場で私の体をきれいに洗い、お姉さんの服を着せてくれました。
履いていた汚れた下駄も、洗ってくれました。
私がホッとしてにっこりすると、おばさんがせんべいをみんなに「どうぞ。」と持って来てくれたのです。
私は、おばさんがお母さんのように感じられて、嬉しくなりました。
こんな出来事があったので、父は祖父母と相談して、私を幼稚園へ通わせることにしたのです。
我家はラムネ屋を営んでおり、落ち着きのない私が外で遊ぶ時、見ている人がいません。
母は二年前から、病気で離れの部屋で寝たきりでした。
そこで、美木おばさんが、幼稚園へ連れて行ってくれたのです。
幼稚園では毎朝、出席ノートにシールを貼ることになっています。
幼稚園に少し慣れた頃、幼稚園に着いて通園カバンの中を見ると、入れたはずのノートが見当たりません。
その時は幼稚園の帰りに、我家の近くのK橋を渡った所にある、お店のおばさんに呼び止められました。
「朝ね、外からお店の中に飛び込んできたよ。」とノートを手渡してくれました。
今朝は、幼稚園に着いてみると、確かに持って出た通園カバンがないのです。
我家の近くのK橋を渡っている時、バスが来たのを思い出しました。
K橋は幅が狭くバスとすれ違う時、排気ガスが臭くてとても息苦しいのです。
バスが来たとたん、私はカバンをグルグル回しながら、逃げる癖があります。
その時カバンが、飛んだに違いありません。
そのうち何時ものように、出てくると思いました。
カバンのことは忘れてしまい、みんなと楽しく遊んで、元気に家に帰りました。
次の朝、通園カバンが無いのに気が付いたのは、姉です。
お弁当を入れる袋を、姉が貸してくれたので大丈夫です。
私はきげんよく出席ノートが無いまま、弁当だけを入れた袋を持って、幼稚園に行きました。
年中組担任のれいこ先生は、私が忘れ物をすることに、慣れているようです。
れいこ先生が優しいので、私は先生も幼稚園も、大好きになりました。
幼稚園から家に帰った時、あの店のおばさんがやって来て、「バスで市内を一周して、帰ってきたよ。」と通園カバンを差し出しました。
ある人が、バスの窓から中に飛び込んできたカバンに、住所が書いてあるのを見付けたそうです。
おばさんの店の近くと分かって、ついでがあったので届けてくれたのです。
ラムネを作る手伝いのおばちゃん達が、大笑いしたので、私も笑ってしました。
その後、バスが来た時、カバンをグルグル回しながら逃げる癖が、でないとよかったのですが、当分の間、続きました。
