お話「ラムネ屋トンコ」
第二回 昭和二十五年 晩秋 お腹を切るの?

おじいちゃんは中風という病気で、ほとんど寝ていましたが、私が幼稚園の年中組に慣れた頃、亡くなりました。
おばあちゃんは元気が無くなり、私のお弁当作りなど大変のようです。
私は子どものいない母の弟夫婦に、預けられることになりました。
おじさんの家から幼稚園に通うことになったのです。
幼稚園から帰った時、おばさんが留守だと、私の目に写るのは畳だけでした。
おばさんが家にいてもおもちゃがないので、一緒に遊べません。
私の家には父と姉と祖父母がいて、隣には父の兄家族が住んでいますし、ラムネを作る手伝いの人が来ます。
急に夫婦二人だけの静かな家に預けられて、淋しかったからか、時々お腹が痛くなったのです。
おじさんの家に行ってから一週間後、私は我家に帰ることになりました。
家に帰った夜、お腹がとても痛くなり、次の朝も痛みが治まりません。
父がおんぶして、すぐ近くのU病院へ、連れて行ってくれました。
父の背中から診察台に降りる時、「イタイ、イタ―ィ。」と言いながら、診察台の上で痛くないように、体を海老のように曲げました。
それなのに、U先生は私の体を上向けにして、お腹のあちこちを押します。
「イタイヨー。」と大声も涙も出てしまいました。
「これは盲腸(虫垂炎のこと)に違いない。切ったほうがいい。」と先生が言います。
「えっ!七匹の小やぎのお話のオオカミのように、お腹を切られるの? いやよー!」と、私は心の中で叫びました。
静かにしていると、「薬を飲んで、お腹を氷で冷やして様子を見よう。」と先生。
私は、痛さをこらえて黙ったまま、父におんぶされて、家に帰りました。
父が冷たい気持ちのよい手で、おでことお腹を触って「まだ熱いな。」と心配そうです。
お腹を切るのは嫌なので、「イタイ。」と言わないことにしました。
上を向いて寝ると痛いので、横向きに寝て、氷のうをお腹に当てました。
たびたび、痛くなるので、夜中は眠れなかったような気がします。
翌朝も、時々突然キューと、とても痛くなり大変で、座われないので横向きで寝たままです。
おばあちゃんと父が交代で、お粥を食べさせてくれました。
薬を飲んだからか、夜には痛みが少し弱くなり、眠ることができました。
あくる日は痛くない時があったので、布団の上で仰向けになり、上をボーット見ていると、天井の木目が五重丸に見えます。
「一、二、三・・。」と数えると、五個より多いので、私は気分がよくなりました。
時々痛くなるけれど、あわてずに、体を海老のように曲げると、大丈夫です。
夜、父が冷たくない手で、私のおでこやお腹をさわって、「熱が下がった。」と安心声で言いました。
体温が高い時は当てた手を冷たく感じ、熱が下がった時は、当てた手を冷たく感じないことが分ったのは、だいぶ後になってからです。
次の日は、天井に大きい目の丸い魚や、細長い魚や小さい魚が見えたので、数えたり仲間集めをして、過ごしました。
夕方、U先生が来てお腹を押さえて、「お腹を切らなくてもいいぞ。もう少し静かに寝ていなさい。」と言って、帰って行きました。
それを聞いてなんだかお腹の痛さが、ずいぶん弱くなった気がしました。
