お話「ラムネ屋トンコ」

お話「ラムネ屋トンコ」

第十八回 昭和三十年 初め 母は仕立てが上手

第018回の絵

三年生の一月の朝、目がさめてみるとなんと寒いことでしょう。

窓際のガラスの花瓶の水が凍っています。

水道管に藁の縄を巻いていなかったので、水道管の中が凍って水が出ません。

昨夜、お布団の中に入れた湯たんぽのお湯がさめていますが、それで顔を洗うと温かく感じます。

きのうの夕食後、母はだしを取るために煮干とお水をなべに入れていたので、それで味噌汁を作りました。

私は、田舎のおばあさんが編んでくれたカーディガンを着ることにします。

去年小さくなったセーターをほどいて、毛糸を足して大きいカーディガンに編み直してくれたのです。

その上に、母が古着を仕立て直してくれた上着を着て、学校に行きます。

アメリカ人の古着バザーが幼稚園で開かれた時、大人のコートを安く買ってきて、私用に作ってくれたものです。

「日本のウールはまだ戦前の生地より質がよくないのよ。アメリカのウールは軽くて温かいよ。」と言って、母は自慢げです。

学校へ行く途中、テイラーの成一君のお母さんが、「いい生地の上着を着ているね。」と言います。

「お母ちゃんが仕立てくれたのよ。」と私は得意顔で言いました。

「ほんと! すごくいいわね。」とおばさんが、感心したよう言いました。

私はとても温かい気持ちで、学校へ行きました。

学校では、「寒いから四枚着て来たよ。」と女子が言うと、「僕はシャツとセーターと上着の三枚。」と薄着を自慢げに言う男子もいます。

「俺は二枚だ!」という男子がいたので、みんなは驚いて「二枚?」と聞き返しました。

「俺の家は貧乏だから、毛糸のセーターないんや。でも大丈夫や。かわりに新聞紙を入れているから。」と上着をめくって、新聞紙を見せてくれました。

触ってみると温かいのです。

「かしこいなー。」とみんなで感心して誉めました。

お父さんが戦地から負傷して引き揚げて来たり、病気で仕事ができなかったり、またお父さんが戦死してたりで、家計が苦しい家が多かったのです。

そして、貧乏を堂々と口にする子がいました。

一方、大きい工場に勤めている人の中には、給料の多い人がいて、「最近、ラムネを買ってくれる人が、だいぶ増えたので助かる。」と父が言っています。

フリルのついたワンピースや毛皮の付いているコートを着る人や、たまのお弁当の日に、エビフライが入っている人の家が、お金持ちと思います。

が、そういう人は少ししかいません。

私の家は金持ちではなかったので、ラムネの製造場の裏の畑で、野菜を作っています。

おやつはさつまいもやじゃがいもやメリケン粉の平焼きなどの手作りです。

そして、お風呂と夕ご飯は明るいうちにすませて、なるべく電気を使わないようにしていました。

夕食後は、茶の間だけ電灯を点けて、父の机や火鉢を囲こみ、家族みんなでラジオを聴きます。

ラジオを聴きながら、父が鉛筆を小刀で削ってくれます。

ラジオが終わってから、削り方を教えてくれます。

私は、だいぶ上手になりましたが、弟はまだ削れません。

母はラジオを聴きながら繕い物をします。

昨年の夏休みに、母は姉と私にワンピースを作ってくれました。

ラムネ作りの手伝いに来ているおばちゃん達が、「すごいわ、売っているワンピースより素敵だわ。」と褒めちぎりました。

母はその人たちの娘さんのために、布地を買いに行き、「お盆が過ぎたから半額市をしていて、安く買えてよかったわ。」と帰って来たのです。

黒い足踏みミシンを使って、ワンピースをせっせと作り始め、「夏服は裏地を付けなくていいので簡単よ。」と言って、二日間で仕上げました。

「これで、病気の時にお世話になった、お礼ができるわ。」とプレゼントしたのです。

母が夏にワンピースの布代にたくさん使ったので、私達の冬の服は安い古着を買って、仕立て直していると思いました。

しかし、古着のほうが軽くてよい生地で暖かいので、母の工夫に感心します。

周りの人も、上着の肘が破れたりズボンの膝が破れたら、ツギを当てていますし、靴下も穴が空いたらツギを当てています。

また、少しの土地にでも春菊やねぎなどの野菜を植えて、豊かな食事になるようにしています。

お金持ちでない家の人達は、上手に工夫して暮らしていると思いました。

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