お話「ラムネ屋トンコ」
第二十二回 昭和三十年 夏 絵の教室のキャンプ

四年生の夏休み、楽しみにしていた絵の教室のキャンプの日です。
リュックに絵の道具と着替えとお米二合を入れて、船着場に集合しました。
大きくない連絡船に乗り、水しぶきを受けながら、甲板に座って揺れていると、あっという間にKA島のF船着場に着きました。
近くのKA小学校へ歩いていき、みんなは荷物を置くと、すぐ校庭で遊ぼうとします。
敏春先生が「集合!」とよく通る声です。
KAドックへ行って絵を描くことと、危険についての話が終わったら、さっそくドックへ出かけました。
とても大きな船が出来上がり、明日の進水式の準備中です。
「すご―い。」とみんな歓声を上げ、少し離れたじゃまにならないところに座って、船を描き始めました。
今日は、ねずみ色の一本線で、船の形やマストなどを、詳しく描くことになっています。
私は大きい画用紙だから船全体が描けるはずなのに、大きく描きすぎて船の後の方が入りません。
が、船先やマストやロープなどは、詳しく描けました。
以前ウシを描いた時、顔と前足や体を大きく描きすぎて、しっぽなど描けなかったのですが、「いいぞ、もっと詳しく毛も描こう。」と先生は言いました。
だから、船が大きすぎて船尾が描けなくても、よいことにしました。
下描きを終えて、みんなと一緒に学校に帰り、校庭のタイヤの遊具などで遊び始めました。
これもキャンプの楽しみです。
もう一つの楽しみは、肝だめしです。
三年生の時は、KA島のもうひとつの小学校で、キャンプがありました。
その時「墓場への肝だめし」の前に、先生が墓場で火の玉が飛んでいる話をしたので、女子はみんな怖くて途中で帰って来ました。
「今年は怖い話は絶対に聞かないで、肝だめしに行こうね。」と女子達は話し合っていました。
夕飯は近所のおばさん達がカレーライスを作ってくれたので、おいしく食べました。
夕食後、「今日一本線で描いた船に、明日は色を付けて仕上げよう。仕上げたら、泳いでもいいぞ。」と先生。
みんな海で泳ぐのが楽しみなので、リュックに水着を忍ばせていたので、「やったー。」と嬉しい声です。
「ところで、船着場のむこうの砂浜に、するめイカが開いて干してあるのを見たかい。並んだイカに月の光があたってきれいだから、今夜はみんなで見に行こう。」と先生が誘いました。
「肝だめしはしないの?」とみんなが口々に聞きます。
「忘れるところだった。みんな肝だめしをしたいんだな。ヨーシ、それでは一人ずつ行こう。砂浜まで行って、石ころを探して拾って来るんだぞ。」「さっき僕がするめいかを見た時、『うらめしやー、僕は切られて痛かったー。』と言って、小さい青白い火の玉がボーと出ていた。
『そうだそうだ、人間が来たら、うらめしやーと声を掛けよう。』と、となりのイカが話していたぞ。」と先生が話します。
「さあ、ひとりずつ出発だ!」と先生。
「しまった。アーア。」またしても、先生の策略に引っ掛かってしまいました。
女子は船着場までは行けるのですが、その向こうの砂浜に行けないので、みんな立ち止まって、どうしようかと話し合っています。
結局、女子は肝だめし失敗でした。
先生は留守番をしていましたが、しょんぼりして帰った女子達を見ると、にんまり笑います。
六年生のお兄さん達は「青白い玉は、見えなかった。」と言いながら、青白い顔をして、丸い石をしっかり握って帰って来ました。
私達女子は、きっとお兄さん達は火の玉を見たに違いないと思い、背筋が凍りました。
「するめイカを見に行かなくて、よかったね。」と話しながら、怖いので便所に行く時、六年の洋子さんについて行きました。
その夜は、涼しい浜風を感じ、窓の外の夜空の星を見ながら、ホッとして眠りについたのです。
次の日、ドックには大勢の人が集まり、進水式が始まりお祭りのようです。
夏の空で、万国旗が拍手をしているように羽ばたいています。
万国旗を付け加えて描いた友達もいました。
先生はひとりひとりが絵を描いているところを見てまわり、「しっかり描いたな。」「いい絵だ。」「ごくろうさん。」と声をかけます。
私達はとても楽しい雰囲気のなかで、絵を仕上げました。
その後、みんなは青い大空に入道雲を見ながら、船着場から少し離れた海辺で、賑やかな海水浴です。
みんなと一緒に学校に帰った時、きれいな日傘を差した白っぽいワンピースの女の人が、敏春先生を訪ねて来ました。
笑顔がステキなスマートな人です。
二人で楽しそうに話していますが、私は気になります。
婚約者かな? 私はますます気になって仕方ありません。
敏春先生が「トンコ」とあだ名を付けてくれた時から、私は特に親しみを感じてきました。
しかし、先生には婚約者が出来たらしいので、少し遠い人になったような気がしはじめました。
