お話「ラムネ屋トンコ」

お話「ラムネ屋トンコ」

第二十三回 昭和三十年 盛夏 初めての一人旅

第023回の絵

今までは長い休みの時、田舎のおじいさんの家に、姉と一緒に必ず行っていました。

ところが、姉が中学生になりクラブ活動があるので、四年生の夏は、一人で行くことになりました。

母は、私が持っている物や袋を、グルグル回さなくなったので、安心しているようです。

駅まで送り切符を買ってくれて、おつりの十円玉を私のさいふに入れながら「これはバス代よ。」と母が言います。

「二つ目の駅で降りるのよ。」「駅前の肉屋さんで牛肉を百匁買ってね。」と、百円札もさいふに入れてくれました。

ホームに、黒い大きな機関車が列車を引っ張って、ガタゴト入って来て止まりました。

「お肉を忘れないでね。バスの停留所は安田よ。」と母。

「はーい。行ってきまーす。」と汽車の窓から、手を振りました。

間もなくトンネルです。

窓を閉めたのに、隙間から機関車の煙突から出る黒い煙が、中に入ってきます。

なんだか顔や鼻の穴が、黒くなったような気がします。

一つ目の駅を過ぎると、すぐに二つ目の駅に着きました。

駅前の肉屋さんで、お肉をちゃんと買いました。

お店のおばさんが、ハランの葉を乾かしたものに包んでひもをかけて、持ちやすいように先を輪にしてくれました。

宿題の『夏のとも』と着がえの入ったバッグの中に、さいふもあります。

「安田に止まりますか。」と確かめて、バスに乗ったので安心です。

バスの窓から外を見ると、田んぼの青々とした稲が、風に吹かれて波のように揺れています。

春休みにおじいさんの家の近所の男の子と遊んだこと、にわとりに餌をやったことなど思い出しました。

そして、おじいさんに叱られたらしいことも、頭に浮かびました。

おじいさんの家で、夕ご飯の時、私がおしゃべりをしている間に、おじいさんがおかずのお皿を取って、隠したようです。

私は気づかずに、ご飯とお汁を食べて「ごちそうさま。」をしたのです。

あとで姉が教えてくれても、おかずのことを思い出せませんでした。

次の日は、おしゃべりばかりして夕ご飯を食べないので、「としこはお行儀が悪いから、押入れで考えなさい。」とおじいさんが言って、私を押入れに入れて、戸をピシャリと閉めました。

しばらくして、「おじいさんに、『ごめんなさい。』と言いなさい。そうしたら出してくれるから。」と戸の外から、おばあさんの声が聞こえました。

でも、遊びすぎて眠いので、ウトウトとそのまま眠ってしまったようです。

翌朝、目が覚めて「あらいやだ! こんなところで眠って、寝ぼけたのかな。」と言いながら、井戸端へ行きました。

冷たい井戸水で顔を洗って、おじいさんとおばあさんに「おはよう。」と挨拶しました。

お腹が空いていて、朝ご飯を黙ってたくさん食べたので、叱られませんでした。

「きのう、お行儀が悪いので、押入れに入れられたのを、覚えていないの?」と姉が聞きましたが、私はすっかり忘れて、思い出せません。

お行儀がよい姉は、いつも誉められるのですが、私は誉められたことはありません。

しかし、卵が毎日食べられるし、楽しいことがたくさんあるので、おじいさんのところは大好きだと思います。

その時、「まもなく、安田です。」と車掌さんの声が聞こえました。

「はーい、おりまーす。」と、私はバッグを持ってバスから降りて、バス停のお店に飛び込みました。

だって、バスの排気ガスが、大嫌いだからです。

ところが、お肉が無いのです。

私はあわてて排気ガスを気にせずに、走り出したバスを追いかけました。

「バスまってー。お肉まってー。」と、必死で走っても、追いつくはずがありません。

それでもバスが見えなくなるまで、走りました。

夏の太陽がまぶしく熱く照っていて、汗だくです。

着くのが遅いので、おじいさんが心配して、迎えに来ました。

お店のおばさんがバスセンターに、電話をしてくれました。

終点まで行って帰ってくる時、バスにお肉をそのまま乗せて、届けてくれるそうです。

「届いても暑いので、腐って食べられないだろう。」とおじいさんとお店のおばさんが、話しています。

私は悲しくなりましたが、涙が出るのをがまんして、おじいさんの家に向かいました。

家に着くと、おばあさんが冷たい井戸水を、汲んでくれました。

水を飲んでから、小さい声でおじいさんとおばあさんに「お肉をバスに忘れたの。ごめんなさい。」と言いました。

「としこがバスから降りるのを忘れなくて、無事着いてよかった。」とおじいさん。

たまった涙が、目から流れ落ちました。

おじいさんは、「卵を産まなくなった鶏を、食べることにしよう。」と言ってから、縁側の下に作った鶏小屋から、鶏を一羽取り出して、首を締めたようです。

羽を全部とった裸の鶏を、おばあさんに渡しました。

おばあさんはおじいさんの作った玉ねぎと、鶏肉とたっぷりの卵で、オムレツを作って「きょうは大ごちそうだよ。」とニコニコです。

私はバスを追って走りお腹がすいたので、黙ってよく噛んでたくさん食べました。

「今日は行儀よく、しっかり噛んで食べたのう。感心じゃ。」とおじいさん。

私は初めて誉められたので、びっくりしましたが嬉しくてたまりません。

つぎの日、おじいさんに「きのうの鶏がかわいそう。」と話しかけました。

「もう卵を産まない鶏は、みなすぐに食べられる運命だ。」「感謝して食べるといいんだ。粗末にしないで食べることが大切だ。」とおじいさん。

おばあさんが、昨夜残りの鶏肉を甘辛く煮ていて、爪楊枝にさしています。

私は心の中で「ありがとう」と言って、おいしいので何本も食べました。

「しっかり食べたなあ。いいぞ。」とおじいさんが、また誉めてくれました。

近所の男の子と朝も夕方も遊び、もう一泊しました。

そして、幸せな気持ちで無事に我家に帰り、バスにお肉を忘れたことを思い出しませんでした。

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