お話「ラムネ屋トンコ」
第二十四回 昭和三十年 秋 おじいさんと柿

四年生の十月、田舎のおじいさんが、たくさんの柿と卵を持って、やって来ました。
おじいさんの家には、五本の大きい柿の木があり、家族みんなが楽しみに柿を待っています。
「おじいさんに、お風呂を沸かして頂だい。」と母が私に頼みました。
まず、五右衛門風呂釜に水が入っているか、確かめました。
実はついこの前、気を利かせて、焚き始めたのですが、風呂釜に水が入っていなかったのです。
その上、あわてて、熱い釜に水を入れたので、ビーンとひびが入りました。
ですから、ひびに接ぎが当ててあります。
今日は大丈夫です。
お風呂の焚き口に新聞紙を丸めて入れ、その上に細い木の枝を置いて、マッチで火をつけました。
竹筒でフーと吹くと、紙が燃え枝に火が移り、薪を入れると燃え始めます。
つぎに、空気が入るようにすき間を作りながら、薪を加えていくとドンドン燃えて、二十分位でお風呂が沸きました。
「おじいさん。お風呂にどうぞ。」と声をかけました。
おじいさんがお風呂に入った時、おばあさんのまねをして「おじいさん。湯加減どうですか?」と聞きました。
「ちょうどいい湯だ。ありがとう。」とおじいさん。
おじいさんはお風呂からあがって、「としこが湯加減を聞いてくれた。気が利くいい子になった。」と父に話しています。
これからは、お客さんの時、お風呂の湯加減を聞こうと思いました。
夕食後、父が「一手お願いします。」とおじいさんに言って、厚い木の碁盤と碁石を出しました。
二人はずいぶん長い間向かい合って、パチパチと碁石を置いていましたが、父が「参りました。」と言ってやっと終わりました。
私はこの前の夏休みから、おばあさんよりおじいさのほうが好きです。
その夜は、おじいさんの隣に布団を敷いて寝ました。
あくる朝早く、おじいさんは「畑仕事があるから。」と言って、帰って行きました。
今日はおじいさんが届けてくれた、大きい立派な柿が三十個もあります。
母が、私達子どもに「四個づつね。」と分けてくれました。
私の家はいつも、サツマイモやジャガイモやメリケン粉の薄焼きパンなど、母の手作りおやつです。
たまに鶏がらでスープを作った日は、鶏がらもおやつです。
骨に身が付いていて、塩をかけてしゃぶると、とてもおいしいのです。
果物もやキャラメルもたまに買いますが、誰からか貰った時は、それがおやつになります。
友だちの家に行くと、カステラなどの珍しいおやつが出ることがあり、感激します。
私は、いつも突然友達を連れてくるので、おやつの用意が少ないのです。
製造場でラムネ玉が上がらない、少し気の抜けたけど甘いラムネを出していました。
だけど、今日は違います。
一年に一回だけ、とっておきの自慢の大きくておいしい、おじいさんの柿があります。
今までに、珍しいおやつをもらった友達を、招待できるのです。
友達に「遊びに来てね。今日はとってもおいしい柿があるのよ。」と誘います。
半分でもお腹一杯になる柿を食べて、おしゃべりして幸せな時を過ごしました。
おやつの後、前の路地で遊んでから、みんな帰って行きました。
「としちゃん、散髪屋さんにおすそ分けと言って、柿を持って行ってね。」と母が、使い済みだけどきれいな包装紙に、柿を三つ包みます。
私はそれを持って行き「これはおじいさんが持って来たおいしい柿よ。おすそ分けです。どうぞ。」と言って差し出しました。
「つまらない物ですが。」と言わなかったので、よかったと思いました。
時々、近くの人や遠くの人が、「つまらない物ですがどうぞ。」とお菓子や卵や野菜を持って来てくれます。
母は「結構な物を、ありがとうございます。」とお礼を言います。
届けてくれた人が帰ってから、「すごくいい物よね、つまらない物って言わない方がいいのにね。」と母。
私もそう思うので「つまらない物。」と言わないことに、決めていたのです。
夜、お布団に入って「おじいさんありがとう。来年も届けてね。」と心の中で願いました。
夏にバスにお肉を忘れたことを、思い出しましたが、おじいさんが口に出さなかったので、私もそのことを話ませんでした。
冬休みになり、おじいさんのところに行きました。
今度はおみやげのお肉を、ちゃんと届けました。
おばあさんが野菜など用意をして、おじいさんが七輪に鉄鍋を置いて、すき焼きを作ってくれました。
産みたての新しいプリプリの卵をといて、お肉や野菜を付けて食べました。
ほんとうに大ご馳走のおいしいすき焼きで、忘れられない味です。
翌日、いつもは作業服を着ているおじいさんが、着物と袴を着ています。
おじいさんは舞と謡(うたい)が上手で、近くの人に教えているのです。
近所のおじさんとおばさんがやって来ました。
おじいさんが「たかさごやー、このー」と謡ながら腰を少し落として、舞い始めます。
おばあさんも鼓を持って「ポンポン」と打ちながら、「イヨ」などと声を出しています。
おじさん達が新年早々、娘さんの結婚祝いの時「高砂」という能を、謡って舞うので、手本を見せているのです。
次におじさん達が日頃のけいこの、仕上げをしました。
しばらく、「ポンポン、ポポポンポン」と鼓のよい音が、庭じゅうに響いていました。
おじさん達のおけいこが終わってから、私はいい気分で、家に帰りました。
お肉をちゃんと届けたことと、夏にお肉をバスに忘れたことを母に伝えました。
「夏におじいさんが『としこは無事着いたが、お肉は無事着かなかった。
としこがごめんなさいと言ったぞ。』と電話で誉めていたよ。」と母が話したので、私は照れてしまいました。
そして「おじいさんは謡と舞がとても上手なの。敬老会に招かれて、おじいさんより若い還暦祝いの人に、鶴亀の能を披露しているのよ。」と母。
おばあさんも鼓と合いの手で協力しているので、みんなからおしどり夫婦と思われているようです。
しかし、時々おじいさんとおばあさんは、言い合いのけんかをしています。
おばあさんは十四才でお嫁にきて、二人で苦労したそうです。
おじいさんは七十五才になりましたが、畑仕事や庭の掃除や手入れを全部しています。
また、自分の靴下を編みますし、穴があいた時、ちゃんと編み目に棒をとおして、上手に編み足したり、編み直しています。
六十才のおばあさんは私達にセーターなど編んでくれますし、いつも着る和服を解いて、洗濯して縫い直すことには精を出しています。
また、夏は暑いと言って、おじいさんの麻の縮み地の前あきシャツのように、ゆかたを縫い直して着ています。今で言うリフォームです。
おじいさんもおばあさんも、いろいろ頑張っているので、感心します。
