お話「ラムネ屋トンコ」
第二十八回 昭和三十一年 初夏 色の白いは七難かくす?

五年生の六月。ほとんどの子が、半袖の服を着ます。
まわりのみんなと比べて、私だけ腕や脚の毛が多いことに、気がつきました。
私の腕や脚の毛が多いことは、前から分かっていましたが、私のだけ多くて濃いので気になり始めました。
みんなに聞いてみると、「ほんとに多くて黒いね。」「毛深いね。」とうなずきます。
家に帰って、父や母や姉弟の腕や脚を、じっと見ましたが、みんなに毛は見えません。
「としちゃんは、お姉さんと似てないね。」とよく言われます。
「おまえはK橋のたもとで、泣いていたのを拾われたんじゃ。」と近所の腕白っ子が言ったのを、思い出しました。
家の横の田植えの終わった田んぼに、海からの風が吹き、稲の苗がゆれています。
その風が窓から入って来て、私の腕の毛も同じようにゆれます。
「私だけ、どうして毛深いの?」と母に聞きました。
「としちゃんがお腹の中にいた時、栄養不足で小さく弱いので、毛を増やして、体を守ろうとしたのではないかしら。だから、生まれた時から毛深いのよ。」と母は言います。
ほんとうかな?お腹の中にいた時のことは、私には分りません。
その夜、布団の中でまだ眠っていない姉に「私、毛深いのが嫌で、気になって眠れないの。」と話し掛けました。
「あんたは嫌なことがあると、いつもすぐ眠くなるくせに。」と姉。
エッ、そうかなーと思っていると、「軽石でこすると、毛がすり切れて取れるらしいよ。」と教えてくれました。
「そうかー。明日やってみよう。」と私は解決策があったので、安心です。
姉はテストが気になって、眠りにくそうですが、私は先に寝入ってしまいました。
明くる日のお風呂の時、さっそく軽石で脚をすり始めましたが、ちっとも毛は取れません。
少し力を入れてすると、ほんとうに毛が取れてきました。
ヤッター! 左脚の見えるところの毛が、ほとんど取れました。
つぎは右脚です。
手が疲れてきましたが、ここで止める訳にはいきません。
力の加減がうまくいかず、力が入りすぎて右脚が赤くなってきました。
お湯ですり切れた毛を洗い流すとピリピリします。
水でもヒリヒリ。
大急ぎでお風呂から上がって、薬を塗ることにしました。
赤チンは目立って恥ずかしいのでやめて、メンソレータムをやさしく塗ったのです。
すると、もっとヒリヒリして痛くなりました。
お風呂場に行き、手ぬぐいを水でぬらし叩くようにして、メンソレータムを拭き取ろうとすると、まだヒリヒリします。
乾いた手ぬぐいで、そっと拭いてもヒリヒリ。
日焼けした時のように、初めからアロエの汁を付けるとよかったのに、後の祭りです。
腕の毛を取るのは、やめました。
お風呂場に長くいたから、のぼせて疲れたので寝ることにしました。
「どうしたの?」と姉が、早く床に入った私に聞きました。
「軽石で脚をすったら赤くなったの。 メンソレータムを塗ったら、よけいヒリヒリするの。アーア、もう眠くなったの。」と返事をしました。
「嫌なことがあっても、すぐ眠れていいね。」と姉。
私はがまん強くないから、痛いのはすぐ治りたいし、いやなことは早く忘れたいのです。
それには眠るのが一番と思っているし、眠ることがあってよかったなーと思います。
今夜は疲れて眠くなったのですが、姉にそのことを話す前に寝入ってしまいました。
我家に時々訪ねて来る母の妹は、来るたびに「としちゃんは色白でいいね。色の白いは七難かくすよ。」と言います。
おばさんの娘のとしえちゃんは、私と同い年です。
私のほうが色白だからと、おばさんが羨ましそうです。
最近「七難」の意味が「欠点」と分りました。
私の場合は、鼻が低くて空を向いていること、出っ歯と目が小さいことと、そばかすなどが欠点らしいのです。
以前から「鼻が空向き。」と言われていましたが、悪口に聞こえなかったし、下向きよりいいと、思っていたのですが。
冬に頬にしもやけができて赤くなり「おてもやん」のようになること、毛深いことも欠点だと思います。
色が白くて隠すどころか、目立つように思います。
鼻のことも出っ歯も目が小さいこともおてもやんも、小さい時から鏡にうつるので、見慣れています。
それに、いつも自分の顔は見えないので、気になりません。
しかし、腕と脚の毛深いのは、半袖を着た六月から毎日目に入るので、とても気になります。
夏休みに、いとこのとしえちゃんの家に行くので、「色白は大変よ。」とおばさんに話そうと思います。
