お話「ラムネ屋トンコ」
第四十五回 昭和三十二年 秋 失敗の相談室

六年の二学期です。
みんなにないしょで勝手に「失敗した時の相談室」を開いたので、「困った時相談してね。」「失敗した時相談してね。」とつい口にするようになりました。
「相談があるんじゃ。瞳ちゃんの家の電話番号を知りたいんじゃけど。」と男子が声をかけました。
これって相談でしょうか? あまり気分よくありません。
「家が近いから、電話しないから、番号知らないの。瞳ちゃんのお父さんに聞いてから教えるわ。」と応えました。
学校で、男子が瞳ちゃんに話し掛けると、みんなにひやかされます。
家に帰ってから、遊ぶ約束をするために、電話をしたいので、私に番号を聞いたのです。
男子が私に話しかけても、ひやかされることはないようです。
つい先日、「瞳ちゃんと二人で歩いていると、どう見ても、あんたは瞳ちゃんの引き立て役だわ。」と姉が言ったことを、思い出しました。
瞳ちゃんは見えますが、私は自分自身は見えないのでよく分かりませんが、友達の引き立て役ならいいと思います。
瞳ちゃんのお母さんは東北美人です。
瞳ちゃんも、背が高く八頭身美人なので、男子の人気の的です。
「お父さんに聞く。」と私が言ったので、知られると恐いからか、男子は二度と瞳ちゃんのことを聞いてきませんでした。
その頃は「地震かみなり火事おやじ」と言って、おやじ(お父さんのこと)は恐れられていました。
私も瞳ちゃんの家の電話番号は、聞かずじまいでした。
近くなので電話する必要ないし、もし電話しようものなら「行って話しなさい。」と家族に注意されるからです。
二番目の相談(?)は、教室で「運動会」のポスターを描いている時です。
友達が漢字の色を失敗して、困っているようです。
私は、濃い色にするか縞柄にするよう、勧めました。
言うより塗る方が早いので、塗ろうとしました。
友達はあわてて、自分で塗り始めました。
友達の方が私より、仕上げは上手なのです。
友達は満足に仕上がったようで笑顔です。
困っていて相談された時だけ、いい案が浮かべば伝えたらよいことに、気がつきました。
つぎに、一人の男子が「相談があるんや。学校の帰りに、M寺の境内に来てくれや。」と誘いに来ました。
なにかこんたんがあるかもしれないと思ったのですが、M寺に行ってみました。
M寺には、樹木がたくさんあり、四角い池にかめがいます。
二人の男子が、先に来ていて、かめを見ていました。
私の姿を見るとやって来て、「ゆみちゃんも誘って遊ぼう。」と言います。
ゆみちゃんは境内のそばに住んでいて、バレー教室に通っているかわいらしい女の子です。
ゆみちゃんを誘いに行くと、バレー教室に行って留守でした。
ゆみちゃんを好きな男子が、バレーの発表会の招待状を、貰って欲しいことが分かりました。
去年、私は招待状を貰いましたが、今年は貰えるかどうか分からないので、引き受ける返事をしませんでした。
遊ぶのもそこそこ、男子は帰って行きました。
私はひとりぼっちになって、少しがっかりした気持ちになったのですが、気を取り直して家に帰り、瞳ちゃんの家に遊びに行きました。
しばらくしたある日、椿ちゃんが「茂子ちゃんが恐い顔でにらむのよ。いやだわー。」と困った顔と声です。
相談されたと感じた私は、「どうしてなのか聞いてみようか?」と応えました。
椿ちゃんがうなづいたので、校庭にいた茂子ちゃんに聞きに行きました。
茂子ちゃんとは、幼稚園の時から一緒で、親しいほうです。
背が高くて活発で強そうに見えます。
そういえば、時々、不機嫌な顔をしていることがあります。
椿ちゃんの名前は出さないで、「茂子ちゃんに、にらまれていやだと言う友達がいるけど、何か理由があるの?」と聞いてみました。
「誰のことかな?私は、弱いものいじめする人をにらんでいるよ。」と茂子ちゃん。
「そうかー。分かったわ。弱いものいじめは許せないよね。」と私。
二人とも少し笑顔でうなづき合いました。
校門で待っていた椿ちゃんに「茂子ちゃんは、弱いものいじめした時、にらむと言っているよ。」と伝えました。
椿ちゃんは、「ふーん」と言って、少し考えているようでしたが、すぐに帰って行きました。
私の相談室は役に立ったのかどうか分かりません。
しかし、茂子ちゃんが弱いものいじめが嫌いなことが分かって、嬉しくなりました。
茂子ちゃんと協力したら、私の小学校では、万一、弱いものいじめが始まっても、すぐ終わると思えました。
帰りは瞳ちゃんと一緒です。
最近、体育の時間、平均台を歩いています。
私は両手を広げて歩けば、落ちないで歩けるようになりました。
K川の堤防は平均台より太いので、歩きやすくて、平均台のけいこになりそうです。
瞳ちゃんも同じように思っているようで、意気投合。
さっそく、ランドセルを下ろして、堤防の上を歩き始めました。
堤防は幅二十センチ位で、高さも二十センチ位なので大丈夫です。
が、だんだん高くなり橋の欄干(らんかんと言って、橋の入り口の柱)に近づくと、胸の高さまであります。
少しスリルがありますが、欄干まで行ってみたいので進みました。
「コラー。危ないから降りろ。女の子が歩くのは、初めて見た!」と、橋に一番近い家の、高校生のお兄さんが大声を上げたのです。
私達は、堤防から飛び降りました。
あーあ、私達のチャレンジは、失敗に終わりました。
お兄さんは、少し前までは丸坊主でしたが、もうすぐ、大学受験をするので、髪の毛を伸ばし始めています。
都会の高校生は髪の毛を伸ばしているので、受験の時、丸坊主だと中学生と間違われたり、気後れすることがあるらしいのです。
髪の毛が伸びてバサバサで、動物図鑑のやまあらしのように見えます。
やまあらしのあだながぴったりと思い、「やまあらしー。やまあらしー。」と言いながら、走って家に帰りました。
三日後、瞳ちゃんとK橋に来た時、どうしても、堤防を歩いて橋の欄干をタッチしたい気持を、抑えられなくなりました。
あの高校生のお兄さんが、いないか確かめました。
今日は姿が見えません。
はやく実行しようと、私が先に堤防に上がって、歩き始めました。
少しスリルがあるけど、両手を広げれば安定して平気です。
ゆっくり歩いて、欄干にタッチして「ヤッター!大成功!」と両手を上げた時です。
あのお兄さんが、自転車のブレーキの音を立てて、止まりました。
「こらー。」と言ったので、飛び降りて、「ごめんなさい。」とあわてて言いました。
「あきれた女の子だ。もう二度と登ったらだめだ。」ときつい声です。
「ハイ、二度とやりません。」と真面目な声ではっきり言いました。
一回欄干まで行けば、満足だったのです。
「それならいいけど。」とお兄さんはやさしい顔になりました。
「あやまるに限る」と言う言葉を聞いたことがありますが、その通りと感じました。」「としちゃんは、ほうかいぼーだなー。」と笑いながらおにいさんが言いましたが、私には何のことやらさっぱり分かりません。
「やまあらしー。さよならー。」と言いながら、ランドセルを手に提げて、大急ぎで別れました。
このことを「失敗は成功の元」とは言わないような気がします。
その後、なぜかお兄さんと、よく会うのです。
「やまあらしさん。おはよう。」と挨拶すると、「よう!ほうかいぼうー。おはよう。」と笑って挨拶してくれます。
「やまあらし。」と変なあだなのつもりで言っているのに、お兄さんはきげんいいのです。
中学生になってから、夏目漱石の坊ちゃんに出てくる「やまあらし」と、お兄さんは思ったのだろうと、気がつきました。
「ほうかいぼー」の意味を聞きたかったのですが、お兄さんは高校を卒業して遠くの大学に行って就職したそうで、会っていません。
今度会ったら、必ず「ほうかいぼー」の意味を聞きたいと思っています。
