お話「ラムネ屋トンコ」
第四十八回 昭和三十三年 春 夢はかなう

六年生の一月、「生活発表会」の準備が始まりました。
私達の組は、社会の研究発表で、日本各地の特産品を調べて、発表することに決まりました。
劇でなくて残念ですが、しかたありません。
発表の時使う大きな図表を描くことに、精を出しました。
みんなで協力して発表はうまくいきました。
二月末、「この組は、卒業式の日に、「卒業記念品」贈呈の役をすることになりました。」と先生がみんなに話しました。
みんなは、そんなことはやりたくないようで、下を向いています。
「としこさんにしてもらったらどうかしら?」と先生。
みんなが拍手をしたので、すぐ決まってしまったのです。
みんながしたくないのなら、私がやってもいいと思って、引き受けることにしました。
三月に入って昼の休み時間、送辞を読む五年生と答辞を読むの六年生と記念品贈呈の私が講堂に集まって、歩く練習から始まりました。
体育の授業の時の元気な歩き方と、茶道の時の静かな歩き方の中間位の歩き方で、きちんと歩く感じです。
四十五度頭をさげて、ていねいに礼をするようにも言われました。
先生から卒業記念品目録と書いてある半紙を受け取って見ると、アカシヤ五本とユウカリ十本と書いてあります。
短い言葉なので、これなら覚えられるので安心です。
なんだか、卒業式という劇の練習をしている感じがします。
卒業式の前日、式の練習の後、教室の最後の片付けをして、みんなは帰りました。
代表の三人だけ残って、式のけいこが始まりました。
畳んだ目録を、落とさないようにしなければなりません。
けいこが終わった時、「これで安心だけど、空模様が心配だ。」と先生達が話しています。
外を見ると、小雨がぱらついています。
「貸し出しようの傘がこづかい室にあるので、借りてください。」と先生。
荷物を持って、こづかい室へ行こうと講堂の出口へ向かいました。
すると、なんと私の母が、私の古くなった赤いこうもり傘を持って、立っているではありませんか。
初めて母が、傘を持って迎えに来てくれたのです。
大急ぎで駆けるように、母のところに行きました。
「あわてないで。」と母。
蛇の目傘の母と並んだり、前にいったり後ろにいったりしながら、ウキウキした気持ちで、傘をさして歩きました。
「あめあめふれふれ母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな。ピチピチちゃぷちゃぷランランラン。」という歌を自然に口ずさんでいました。
最初で最後の雨の日の母のお迎えで、念願かなってうれし涙が流れます。
中学になったら、折りたたみ傘を買ってもらえます。
その傘をいつもカバンに入れて行くので、急な雨でもお迎えは無いのです。
家に帰った頃、雨は止んだのですが、今日の雨は私にとって恵みの雨と思えました。
少し遅い昼ご飯を食べた後、縁側で記念品贈呈の練習をしました。
庭をみると、松の細い葉が少し濡れてキラキラ輝いています。
五年生の時から飼い始めた子犬のコロが縁側に寄ってきて、しっぽを振ってクンクン鳴き始めました。
昔から飼っていた老犬のシロは、ずいぶん前に死んだのです。
すぐに、新しい犬を飼いたかったのですが、なかなか見つかりませんでした。
それに、毎日散歩に連れていく自信が無かったので、飼えないでいたのです。
五年生になった時、友達の家の産まれたばかりの赤ちゃん犬を、貰ってきました。
初めの頃散歩は少しでしたが、最近コロは毎日散歩を催促します。
毎日散歩に連れて行くので、すっかり私になついています。
そのコロを抱っこして東の空を見上げると、大きな虹が出ていました。
「おかあちゃーん。虹がでているよー。」と大きな声で叫びながら母のところに行きました。
「そー。よかったわ。明日は晴れるよ。」と返事が返ってきました。
なんだか嬉しいことが続きます。
明日は、卒業式という劇の、記念品贈呈の女の子の役をするつもりで頑張ろう、きっとうまくいく、と思えました。
卒業式当日は、みんなも私も、練習の時より落ち着いてうまくいったと思います。
「答辞」の時、涙を出している女子がいましたが、私はもらい泣きもしませんでした。
記念品贈呈の役をちゃんとしたいので、すこし緊張していたのです。
式が終わって教室にもどる時、式に参加していたお父さんやお母さん達が大きな拍手をくれました。
教室に帰ると、「今まで育てて下さったご両親に卒業証書を渡す時、ありがとうございました、とお礼を言いましょうね。」と先生が話し始めました。
「皆さんの中には、お母さんのお腹に九ヶ月しかいないで産まれた人が、数人います。ずい分昔は、九ヶ月児は育たないと言われていました。」「その赤ちゃんがこんなに成長して、先生はとても嬉しいです。ご両親は特にご苦労されたと思います。ていねいにお礼を言いましょうね。」と先生。
私もその内の一人だと思いながら聞きました。
小学校最後の「さようなら。」を先生やみんなとして、講堂の近くで待っている母のところに行きました。
「六年間ありがとうございました。」と、ていねいにお礼を言って、卒業証書を渡しました。
母はにっこりして「としちゃん。記念品贈呈、とっても上手だったよ。」と誉めてくれました。
劇に出て、「とっても上手ね。」と母に誉められるという夢が、とうとう叶ったのです。
私は「やったー、やったー。」とうれしくてうれしくてこ踊りしたい気持ちで、うれし涙もこぼれ落ちました。
「先生にもちゃんとお礼を言って来なさいね。」と母。
まず、担任の先生です。お礼を言うと「としこさん、中学に行ったら、もっと勉強しましょうね。」と先生。
私は「なにを?」という表情をしました。
今まで、誰からも「勉強しなさい。」と言われたことはなかったのです。
先生に通じたのか、「復習と予習のことよ。」と先生。
「はい。分かりました。」と言って別れました。
次はもちろん、敏春先生です。
お礼を言うと、「中学校に行っても、絵の教室に来てもいいんだよ。待ってるぞ。」と先生。
「はい。必ず行きます。」と、安心の声で返事をしました。
次に、O先生のところに行きました。
O先生は、修学旅行の時、先生と私の二人で写った写真をプレゼントしてくれました。
友達の裕子ちゃんが、先生のカメラで写してくれたものです。
「としこさん。大きくなったら、O先生のお嫁さんになったらいいよ。」と隣に座っていた、女の先生がニコッとして言いました。
私は頬が赤くなったようなので、あわててお礼を言って職員室を出ました。
ニコニコ顔でスキップしながら、こづかい室に向っているではありませんか。
こづかいさんに笑顔でお礼を言ってから、落ち着いて俊栄教頭先生のところにも行きました。
「としこ君はやればできるんだから、しっかり勉強するんだよ。」と俊栄先生。
すぐ「はい。」と返事をしてお礼を言って外に出ると、まだみんなは友達と別れを惜しんでいます。
少し前にみんなで校庭に植えたユウカリとアカシヤの苗木がしっかり立って、若葉が光っていました。
中学生になったら、クラブ活動が楽しそうなので、頑張ろうと思っていたのですが、予習復習も頑張らなくちゃいけないと思いました。
