お話「ラムネ屋トンコ」
第四十九回 昭和三十三年 春 中学運動部で気分爽快

四月に入るとすぐに、中学新一年生の組分けの参考にするため、実力テストと知能テストがあるというので、中学校に行ってテストを受けた。
運動場や体育館も広く、運動クラブの人達が活動していた。
校舎も長いし校庭の樹木も高く、大きい学校に驚く。
数日後、中学生活にワクワクした気分で入学式を迎えた。
みんなが頭のよいと言っている聖君と、仲良しの礼子ちゃんと同じ組になったので、なんだか嬉しい。
聖君は、六年の三学期、隣の小学校の生活発表会に連れて行ってくれたので、親しいつもりでいた。
しかし、中学生になってから、彼から話しかけることはなかったので、私も話しかけなかった。
しばらくして、「入学式前のテスト結果を参考にして、成績のよい者が片寄らず平等になるようにクラス編成をした。」と中年の担任が話す。
担任は若いころ商業学校に行って、商業英語の勉強をしたことがあり、戦後米軍基地のある岩国で暮らしたことがあるらしい。
「若い時、英語を勉強したので、戦後米兵と話しが通じて得をしたし、英語と商業科の教師の職に就けた。みんなもこれからは英語ができると得をするので、よく勉強するように。」と担任が話す。
損得で勉強するよう勧める担任の話に疑問がわいた。
私は、六年生の時から、友達の満喜子さんに誘われて、我家から西に五百メートルの所にある英語教室に通っていた。
先生は、「朝六時からのNHKの英会話講座を聞くように。」と教室のみんなに勧めた。
先生の話す英語は、NHKの先生の英会話と似ていて、舌の動かし方を見せて発音の仕方を教えてくれた。
また、教室に通っていた満喜子ちゃんと堅ちゃんの英語も、NHKの先生と似ているので、すごいなーと感心していた。
担任の英語は、NHKの先生と似ていなかった。
「あれは、ジャパニーズイングリッシュだ。」と誰かが言う。
私は早起きしてラジオを聞き始めたが、毎朝は続けられず、時々聞いただけだ。
NHKの先生のように発音できず、話したり読むことは苦手だったので、書くことに気を付けようとした。
その担任が、ABCが正しく書けないとか、ちゃんと読めないからと、英語が苦手な生徒のミスを、軽蔑した声で指摘していた。
担任を好きになれないし、英語の授業も楽しくはない。
小学校の先生と予習復習をすると約束したが、毎日六時間授業を終えると疲れた感じで、家に帰って宿題をするだけで精一杯だった。
六月に国数理社英の中間テストがあり、初日に英語のテストがあった。
担任の作った問題の中に、ミカンの絵の下にIs this a apple? という文章を見つけた時、思わずニコッとする。
手を上げて「問題にミスがあります。a apple は間違っています。」とテスト担当の教師に伝えた。
すると、そのことが各教室に放送された。
軽蔑された友達の仕返しをしたようで、気分がよくなる。
数日後、テストの答案用紙がみんなに返された時、担任の機嫌が悪い。
聖君は、入学前の実力テストの点がトップグループでクラスで一番だったのに、彼の中間テストの点がかなり悪かったらしい。
「この組は学年で平均点が最下位になった。僕ははずかしい。僕の立場を考えて、もっとよい点を取ってくれないと困る。僕が恥をかかないように頑張ってくれ。」と担任。
できるはずの者の点がもっとよかったら、他のクラスに負けなかったのに、と担任は何度か愚痴を言った。
担任が恥をかかないために、みんなに勉強を強いているようだし、聖君のことを悪く言っているようで気分が悪い。
私は、漢字の間違いや計算ミスがありさほどよくなかったけれど、英語の点がよかったので、合計点でクラスで上位だった。
「テスト問題のミスをよく見つけてくれた。」と、予想外に担任が笑顔で私に言った。
それを聞いて、仕返しにならなかったことに気づき、がっかり。
その後の保護者懇談会の時、「お宅の娘さんは、知能テストが中の下なのに、中間テストが上出来でした。よほど勉強をしているのでしょう。感心です。」と担任が母に話したらしい。
母は気分悪そうに帰ってきて、「たった一度の知能テストを見て、何が分かるのかしらねえ。」と言った。
「病気になるほど勉強することはないよ。一番になる必要はないよ。」と母は、今まで通り勉強より、健康を気にかけているようだ。
美術の授業も好きになれなかった。
美術担当の教師は、「僕は展覧会で入選した。」などと、自慢話が多いし長い。
今年の一年生の中には、小学校の時「もっとたくさん入選した人がいるわ。」と言いたかったが黙っていた。
教師の自慢話は楽しくもなく、作品を描いたり作る気になれず、授業時間内に作品は仕上がらない。
家に持って帰ってまでやりたくなかったので、半分位作品を仕上げず提出もしなかった。
聖君も美術の授業が嫌いだったようで、作品を仕上げず提出しなかったので、同じ気持ちだと内心嬉しくなった。
ホームルームの時間「勉強の計画表をノートに書いて、毎週提出するように。」と担任。
学年でトップの組になるための対策らしいが、担任が恥をかかないためにやらされる気がして、やろうという気にならない。
しかたなく、毎日国数英の復習予習三十分間ずつの計画を立てた。
実行したしないに関係なく○を付けて、みんなと同じように毎週計画表のノートを提出した。
「中間テストよく頑張りました。」とか、「期末テストも頑張りましょう。」と書いて、五重丸の付いたノートを担任が返す。
それを見て、嬉しくもない。
そんな時、体育の教師が運動クラブに入ることを勧め、誘ってくれた。
他の活発な女子や男子も誘われていたようだ。
瞳ちゃん達と一緒に行ってみた。
「初めは陸上部に入って、基礎体力を付けるための運動をしよう。」と体育の教師。
準備体操の後、走ったり跳んだりボール投げをしたりで、結構楽しい。
その時、隣の小学校からきた人達とも親しくなった。
クラブ活動が終わって、瞳ちゃん達ときれいな夕焼けを見ながら家路に着く。
「運動の後は気分爽快でいいね!」という言葉が自然にでる。
中学に通い始めて一番気分の良いことだったので、運動クラブを続けることにした。
一学期末のテストが始まった。
保健体育、美術、音楽、職業の科目が加わって九科目の筆記試験だ。
美術の教科書の復習もやる気しなかったが、テストの問題の半分位の答えは書けたので、五十点だった。
終業式の日に手渡された通知表を見ると、美術の評価は五段階で二点だ。
「美術の点二点だわー。」とつい口にした。
聖君が「僕も二点だ。」と中学に入って初めて話しかけた気がする。
思わず顔を見てほほえむと、彼は苦笑いしたようにみえた。
私の両親は、通知表の点のことなど全く気にしていないので助かる。
中学に入学してから教師のことで嫌なことがあったが、時々小学校の絵の教室に行って、友達同士で嫌なことをおしゃべりして気分が晴れた。
友達のことや運動クラブのことでは気分の良いことがあり、無事一学期を終える。
陸上部で、基礎運動をしたから、好きな部に移ることになった。
瞳ちゃん達とバレー部に入部したので、夏休みは毎日午前中に部活に行くことになり、楽しみになった。
