第六回 昭和二十七年 秋 絵の教室
幼稚園に行く前から、外で遊ぶとしょっちゅう転んで危ないと、みんなが心配するので、私は家の中で絵を描いて過ごすことが、多かったのです。
描いた絵を「ほー上手。」と父が誉めるので、同じ絵を描いてまた誉めてもらおうとしますが、同じに描けません。
しかし、「違っていて、おもしろい。」などと誉めてくれます。
私は絵を描くことが、楽しく好きになりました。
一年生の二学期から、放課後に「絵の教室」が新しく始まることになりました。
担任の先生が、絵を描くのが好きな私を、絵の教室に連れて行ってくれました。
絵の教室の椅子に、一年生から六年生までのみんなが座っています。
前の方で、「こんにちは。僕の名前は○○○○としはるです。」と、背の高くない日焼けした男の先生が、挨拶しました。
初めて聞く難しい名前で、覚えられません。
次に分かる言葉で、お話しが始まったので、ホッとしました。
ところが、先生が画用紙のことを色紙と言ったり、クレパスのことを色鉛筆と間違えるので、みんな大笑いです。
絵の教室なのに、お話の教室に来たようです。
「絵を描こうよー。」と、六年生のお兄さんが言います。
「すまんすまん。今日は時間が無くなった。次の土曜日は必ず絵を描きます。ぜひ来て下さい。」と先生。
お兄さん達は、残念そうに帰って行きました。
私は絵を描かなくても、お話がおもしろいので、また来たいと思いました。
次の土曜日に絵の教室へ行くと、としはる先生がチンパンジーの真似をしながら、動物の話をしていました。
その格好がチンパンジーにそっくりなので、みんなお腹を抱えて笑います。
みんなが笑うとお話が長引きます。
「もう絵を描きたいよー。」とこの前のお兄さん。
先生は仕方なさそうに話をやめて、「好きな動物を描こう。」と言って、みんなに画用紙を配ります。
私は台所の戸を手で開けている我家の犬と、夕ご飯を出してやっている自分を、描きました。
先生に持って行くと、「ご苦労さん。よい絵だ。」と誉めてくれたので、嬉しくなり、絵の教室と先生を好きになりました。
待ち遠しい土曜日、絵の教室が始まりましたが、やはりお話が長いのです。
「もう描こうよー。」の声に、先生はまた残念そうに、話すのを止めました。
「よく見て、詳しく描こう。」「自分の見えるように、人の真似をしないように描こう。」と言います。
数本の雨傘と長靴三足が教壇の上に置いてあります。
私は初めてなのでよく見て描いたのですが、見えるようには描けません。
それに、人の真似をしようとしても、そのように描けず、真似はへたです。
傘の骨はねじれているし、長靴は左右の大きさが違うように、描いてしまいました。
「いいぞ、その調子。」と先生。
気を良くして、傘の縫い目も、長靴のゴム底のギザギザや泥も描いて、色を塗りました。
周りの人は、見えるように上手に描いて仕上げていますが、私は傘と長靴だけで、仕上がりません。
次の土曜日、傘と長靴の下の教壇や後の壁板を描きましたが、なんだか歪んでいます。
「よっしゃ、いいぞ。まだのところに、色を付けて仕上げよう。」と先生が言います。
そっくりに描けなくても、なるべく見えるように、詳しく描けばよいのだと分かり、安心しました。
やっと仕上がり、覚えたばかりのカタカナで、「トンコ」と絵の裏に名前を書いて、先生に持って行きました。
トシコのシが間違っていることに、気が付きませんでした。
「ご苦労さん、とてもよい絵だ。トンコ、よく頑張った。」と、先生がまた誉めてくれました。
今までの私のあだ名は、「おっちょこちょい、とんきょう、ドジコ、ラムネ屋、ぽっきん」です。
それより「トンコ」が一番よいと思えて、としはる先生を大好きになりました。
嬉しくてスキップで席に戻ったとたん、クレパスの箱をバチヤンと落としました。
「とんきょう。」の声が聞こえましたが、私はにっこりしました。
それから、絵の教室に休まず行き、草花果物野菜や、ランドセルや友達など、色々描けるようになりました。
が、周りの友達のように、そっくりに上手に描けません。
しかし、としはる先生はいつも「とてもよい絵だ。」と言ってくれます。
私は土曜日にお話を聞いていると、いつも絵を描きたくなりました。
しかし、一日では仕上がりません。
その理由はよく見て描くからではなく、としはる先生に似てお喋りになり、手より口の方が、よく動くようになったからだと思います。