お話「ラムネ屋トンコ」


第三十回 昭和三十一年 八月 助け合うことは幸せ

五年生の夏休みの暑い日、「あついあつい!ただいまー。」と買い物に行った母が、汗を拭きながら帰って来ました。

「小児麻痺にかかって、手と足が不自由な男の子をおんぶしている、お母さんに会ったのよ。」「病院に薬を貰いに行くと言ったの。汗をかいていたので、日傘をさして送って行ったから、遅くなったのよ。」と言います。

「『お兄ちゃんは、暑いから留守番の方が、いいんじゃないの?』と聞くと、『この子は出かける方が好きなの。いろんな所へ連れて行きたいけど、もう乳母車は窮屈で乗れないの。』と、男の子のお母さんが言ったの。」「えらいお母さんよ。あの頑張っている親子に、元気をもらったわ。」と母。

以前、窮屈そうに乳母車に乗った大きい男の子と、それを押しているお母さんに会ったことがあるので、私は、すぐあの二人と分かりました。

お水を飲んでひと息ついて、母はそうめんを湯がき始めました。

家の中が、もっと暑くなったように感じます。

風の通る涼しい北側の廊下で、干し海老でだしを取った汁かけそうめんを、おいしく食べました。

食べ終わって、「今日はとても暑いから、おやつはアイスキャンデーにしよう。」と母が言いました。

「ヤッター!」と弟と私は大喜び。

東隣の町内の肉屋さんが、アイスキャンデーを作って売っています。

すぐに、私は母の日傘をさして、買いに行きました。

「小児麻痺の男の子とお母さんが、一番はじめにアイスキャンデーを食べるのがいいわ。」と思いました。

帰りに、病院から帰る二人に出会ったら、プレゼントしようと思って、キョロキョロしましたが、会いませんでした。

翌日、一人で田舎のおじいさんの家に、行きました。

おじいさんに、昨日の小児麻痺の男の子とお母さんのこと、日傘をさしてあげた母のことを話しました。

おじいさんは「体の不自由な子どもを、神様から授かった宝として、大切に育てる家族は、幸せになる。」「尊敬し合って助け合って暮らすことが、幸せなんだ。」と言いました。

「そんけいって?」と質問すると、「としこのお母さんは、小児麻痺の男の子とお母さんや、としこやみんなを、尊敬しているんじゃ。」とおじいさん。

尊敬し合って大切にし合い助け合うことは、ステキなこと思いました。

二泊して家に帰ると、目の不自由なおじさんが来ています。

夏はラムネ作りが忙しくて疲れるので、しばしば、父はおじさんに体を揉んで貰い、疲れが取れて元気に働くことができます。

終わると、おじさんを迎えに来てもらうために、母が電話をしましたが留守のようです。

いつもは、小学生の息子さんか娘さんが迎えに来ます。

「としちゃん、送って行きなさい。車に気を付けてね。」と母。

どうしたらよいか分からないけど、ついて行きました。

おじさんは、白い杖を突きながら、歩くのが上手です。

バス通りに出ると、おじさんは私を道路の端に押して、立ち止まりました。

後からスクーター(オートバイのような乗り物)がやって来て行ってしまうと、また、おじさんは杖を突いて歩き始めます。

私より早くスクーターに気が付き、歩くのが上手なおじさんに、私が連れて行って貰っている、気がします。

治療院の看板のあるおじさんの家に着きました。

内から、おばさんが出て来て「どうもありがとう。」と言って、小あじの干物を紙に包んでくれました。

私はちっともお世話をしていないし、役にも立っていませんが、遠慮なく魚を貰って帰りました。

以前、近くの足の不自由な美木お姉さんが、爆弾穴に落ちた私を助けてくれました。

その後、美木おばさんにもずっとお世話になっています。

美木おじさんは工夫して歩きやすい補助具を、お姉さんの足が大きくなるたびに作り替えています。

美木さんの家族は息子さんと娘さん二人いる五人家族で、私の家族は親切な美木さん家族にお世話になっています。

私は体の不自由な人がいる家族の人達は、助け合うのが上手だと感じます。

時々、我家で醤油などが急に切れた時、近くの散髪屋さんやふすま屋さんに借りに行きます。

でも、すぐに返しに行ったことはなく、借りっぱなしです。

たまに、我家にも近所の人が、借りに来ることがあります。

私のまわりには、「助け合う暮らしがある。」と思いました。

しかし、私は助け合うことで一つだけ、嫌なことがあります。

私は雨傘を学校に忘れて帰り、急に雨が降った時助かります。

そんな時、友達のお母さんが、傘を持って迎えに来てくれるのを見て、羨ましく思います。

だから最近は、学校に傘を置き忘れないようにしています。

急の雨の時、母に傘を持って迎えに来てほしいと、思っているのです。

しかし、急に雨が降り出した時、近所の友達のお母さんが、ついでにとわざわざ我家に寄って、私の傘を学校に持って来てくれます。

ですから、残念なことに、母が傘を持って、迎えに来たことはありません。

近所の人は、母が長いこと病気だったので、親切心から私の傘を持って来てくれます。

が最近、母は元気になったので大丈夫なのです。

いつか、母が傘を持って迎えに来てくれるのを、私は楽しみにしています。


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