お話「ラムネ屋トンコ」
第十五回 昭和二十九年 秋 おんち

三年生の二学期。「キンコンカンコン」と、授業が始まる合図です。
「早く行かないと、音楽の授業に遅れるー!」と言いながら、私は急いで教室へ向かっていました。
「音楽好きか?」と同じ組のまさる君が聞いたので、「そうよ。」と応えました。
すると「おまえ、おんちのくせに、音楽好きなんかー。」とばかにしたような言い方をしました。
私はひどい言い方と思って、「横着な。」と言い返して、教室に入りました。
「おんち」という言葉を聞いたのは二度目です。
一回目は町内会のど自慢大会で、中学生のお兄さんが「お富さん」の歌を、一番大きい声で元気に歌った時です。
「おんちなのにすごい!」「いいぞーすごいぞ!」とみんな口々に言って、拍手喝采でした。
私はおんちでなにが悪い、という気持ちでした。
授業が終わって反省会の時間です。
まさる君が「としこさんが僕に『横着な。』と言いました。これは悪い言葉と思います。」と発言。
私は、驚きいやな気分になりました。
「『おまえ、おんちのくせに、音楽好きなんかー。』とまさる君が、ばかにして言ったので、私は『横着な。』と言いました。まさる君の言葉もよくないと思います。」と私。
三年生になって、みんなの言葉使いが悪くなったので、反省会で悪い言葉を発表して、反省することになっていました。
「『ばかたれ』はよくないと思います。」という意見が出たら「みんなで気をつけましょう。」と当番が言います。
その日は当番の人がどうしたらいいか分らなくて、先生に聞きました。
「どちらが悪いか、多数決にしたらいい。」と先生。
「まさる君のほうが悪いと思う人。」と当番。
十三人の人が手を挙げました。
「としこさんのほうが悪いと思う人。」には、十四人が手を挙げました。
手を挙げない人が十数人いました。
「としこさんのほうが悪いことになったので、これから気を付けて下さい。」と当番の人が言いました。
みんなで「さようなら。」をしたとたん、私はくやし涙が流れ、「ウオーンウオーン。」と泣き始めました。
「学校で一度も泣いたことがない、としちゃんが泣いた」というニュースは、すぐ三年生中に伝わりました。
仲良しの瞳ちゃんと満喜子ちゃんと真知子ちゃんが、来てくれました。
満喜子ちゃんと真知子ちゃんは二年生までは同じ組でしたが、三年生で別の組になり、瞳ちゃんも別の組ですが、心配して来てくれたのです。。
反省会の時のことを話すと「まさる君はわんぱくで強いから、手をあげる人が少なかったんだよ。」と瞳ちゃん。
「としちゃんは悪くないと思うよ。」と真知子ちゃん。
「多数決で決めるのがへんよね。」と満喜子ちゃん。
三人が慰めてくれたし、しばらく泣いて気が晴れたので、みんなと一緒に元気に帰りました。
翌朝、咳が出るので、体温を計ると三十七度五分です。
「としちゃん、今日は学校を休みなさい。」と、母が言います。
母が作ってくれた、温かいおかゆと味噌汁とすりりんごを食べた後、布団の中でウトウトしていると、眠ってしまいました。
昼から瞳ちゃん達が、給食のパンを持って来てくれました。
私は急に元気になって、みんなとおしゃべりを始めました。
「としちゃん、静かに寝てないと熱が出て、明日学校へ行けないよ。」と母。
みんながあわてて帰ったので、がっがりです。
「もっとおしゃべりしたかったのに。明日学校に行けなくてもいいの。行きたくないこともあるよ。」と心の中でつぶやきました。
夜はあまり眠くなかったので、父達が聞くラジオを隣の部屋の布団の中で、耳をすまして遅くまで聞いていました。
おばあちゃんが亡くなってから、父が新しい大きいラジオを買って来て、夜出掛けなくなりました。。
そして、「月曜日は『お父さんはお人よし』の番組があるから、皆で聞こう。」と、ラジオをつけます。
それからは「三つの歌」「二十の扉」「銭形平次」など毎晩家族でラジオを聞くようになって、夜の楽しみができたのですが、今夜はみんなと一緒に茶の間で聞けません。
さて、つぎの朝、目がさめたのは八時。
「もう遅いから、今日も学校を休みなさい。」と母が言います。
私の咳はもう出ないし大丈夫だけど、おまけでお休みに。
お布団の上で絵本を読んだり絵を描いたり、父が付けているラジオを聞いて、静かに過ごしました。
今日は給食の無い日、誰もお見舞いに来ません。
なんだか淋しくなりました。
明日は学校へ行こうと思いました。
次の日学校に行くと、休憩時間に満喜子ちゃんと真知子ちゃんがやってきて、「シーソーしよう。」と誘ってくれます。
私は一年生の体育の時間、鉄棒で逆上がりをしようとした時、下に落ちて気を失ってしまいました。
脳しんとうを起こしたらしいのです。
次から「としこさんは、鉄棒しなくていいよ。」と先生が言いました。
私は二年生になっても鉄棒をしたことがありませんでした。
しかし最近は、木登りや渡り棒はできるようになったし、鉄棒にぶらさがっています。
二人でするぶら下がりシーソーだけは、したことがありません。
シーソーから私が落ちて、気を失ったらいけないので、みんな遠慮するのです。
私はシーソーをしたいなと思っていましたが、言い出せないでいました。
それに気づいた二人が誘ってくれたのです。
初めに真知子ちゃんとです。
しっかり取っ手を持って、ピョンピョン跳ぶように上にいったり下りたりで、楽しくなりました。
次に満喜子ちゃんと、もっと高く上がりました。
私は有頂天になりすぎて下りた時、シーソーの取っ手から手が離れてしまったのです。
高いところから満喜子ちゃんは、ドターンと取っ手を持ったまま地面に落ちて、お尻をひどく打ちました。
「イターイ。」と青白い顔になり涙がでています。
「ごめんね、ごめんね。」と、私はじっとしている満喜子ちゃんに、駆けよりました。
私は、自分が鉄棒から落ちた時のことを思い出して、胸がドキドキします。
「びっくりしたけど、だいじょうぶ。」と満喜子ちゃんは言います。
しばらくすると立ち上がって、「もうだいじょうぶ。」と、お尻の砂をはらってニコッとして歩き出しました。
私を元気づけようとしてくれた、二人の優しい気持ちに嬉しくなり、目が潤みます。
満喜子ちゃんは、とても痛かったのに、私を許してくれて、その後も今まで通り親しくしてくれました。
私も、二人のような優しい女の子になりたいと思いました。
